元村有希子・田中泰義's profile理系白書ブログBlogLists Tools Help

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    December 29

    今年はどんな年

    元村です。ちょっとご無沙汰でした。
     
    仕事は28日まで。きょうはゆっくり朝寝坊して、部屋の片付けなどをした。
    なぜか、ほぼ同じ時期に時計の電池が切れ、キッチンの蛍光灯がチカチカしだし、クローゼットの電球も切れた。
    一度に交換したら、なんかすごい仕事をしたような気になった。
    新年早々掲載する「発信箱」をこれから書いて、本当の仕事納めである。
     
    科学技術に関する今年のニュースはなんだったかな・・と思い返してみる。
    目立ったのは、研究の不正に関するものだった。
    不正に明け、不正に暮れた・・・という感じである。
    1月にはソウル大の研究論文捏造報告、5月には早稲田大の研究費不正受給、12月には大阪大で論文のデータを捏造した教授が解雇された。
    東大でもつい先日、RNAの研究論文に関する不正疑惑で教授と助手が解雇処分となった。
     
    東大の場合、当事者はいずれも、論文不正があったとは認めていない。
    しかし、実験をやったことを証明するデータが存在せず、再現実験の機会を与えられたのに、期限内に再現できなかった。
    加えて、検証作業の過程でも不正が明らかになった。
    捏造や不正との断定はできなかったが、2人は説明責任を果たさなかった、というのが、東大の懲戒解雇の理由だ。
     
    こういうニュースは取材していてやりきれない気分になる。
    「氷山の一角だ」という人もいるが、研究者がみんな倫理観を欠いているとは思わない。
    ただ、不正を生みやすい環境は強まっているように思う。
    競争、評価、競争、評価。
    そこから本当にいい成果が生まれることもあれば、逆の場合もあるということだろうか。
     
    来年はいいニュースをたくさん書きたいと思う。
     
    さてさて。
    忘年会も一段落。写真はその一コマ。
    すごーく小さいのに一人前の味がするトマト。(麻布十番のフレンチ)
    十手のマドラー。(浅草の鴨鍋屋)
    今年も元気でごちそうさまでした。
    June 30

    研究費問題へのコメント

    みなさん、研究費問題への数々のコメント、ありがとうございます。
    関心はあるけど、真相が分からないのでコメントできない・・・という意見と理解しました。
    裏づけのない情報で議論することは危ないです。またまた、みなさんに教えてもらいました。
    私も「真相」に近づきたくて、日々取材に駆け回っています。
     
    いくつかのコメントに、私からもコメントを。
    ・「研究費の使い方について現場の研究者から国へ意見は上がらないのか?」(むかいさん)
     いろんな場で、いろんな研究者が「使いにくい」ということは口にしているので、国も認識はしているようです。たとえば、制限つきではあるけど年度繰越が認められたり、院生の旅費を科研費から出せるようになったりと、緩和もされています。文部科学省は「使いやすくする代わりに、きちんとルールにのっとって使ってほしい」という姿勢です。ただ、そのルールが煩雑で、現場の研究者にとってはまだまだ使いにくいところがたくさんあるのは事実だと思います(これは皆さんのほうが詳しいか)。
     
    ・「このテーマについては言えない、と元村が釘を刺しているのでは」(Yoikoさん)
     ご指摘のとおりです。こう釘を刺しておいて「みなさん関心がないのでは」と投げかけるのは、管理人としては無責任ですね、確かに。ただ、私が提供した話題以外でみなさんの意見がたくさん来ることがけっこうあるので、今回もそれを期待したわけです。すみません。
     
    ・「教授に表に出てきて、すべてを語っていただきたい」(しるふぃさん)
     この時期に出てきて何を語っても悪者にされる、という気持ちを、教授は持っていらっしゃるのかなと想像しています。
     
    ・「どうしてこのタイミングでこのネタが流れたのか気になる」(りさがすさん)
     そうですね。ただ、04年7月に理工学部が内部調査で「おとがめなし」と結論づけたことに対して、「おかしい」と思った人たちもいるでしょうから、いつかは公になる案件だったのでしょう。早稲田大はきょう、総長選挙の決選投票が行われています。
     
    ・「固唾をのんでメディアの論調に注視している」(KAZUさん)
     こういう話題を「一研究者の問題」としてとらえるか、「氷山の一角」ととらえるかという視点の問題ですね。私はスタンスとしては後者に近いです。ただ、この教授の立場が立場なので、その特異性にも注目しています。
     
    おっと、次のアポイントが。失礼!
    June 24

    研究費問題

    早稲田大学で、理工学部教授による研究費の不正処理が明らかになった。
    大学側は昨日、中間報告として発表した。
     
    大学教員による研究費の不正受給や不適切な経理処理は、それほど稀ではない。だけど、今回の教授のように、カラ請求して受け取ったお金を投資信託で運用していた、というケースは珍しいと思う。
     
    教授は「研究に使う目的だった」と説明しているそうだが、大学側は「ルール違反」と認定した。
    うむ。
    研究費が使いづらい、という現実は昔からあって、研究者たちには不満もある。不正処理の問題は、使いづらさと表裏一体になっているところがある。実際、こういう問題が起きたあと、ルールが使いやすく変更されたりしてきた。
     
    今回の問題がどんな要素を含むのか、全容はまだ分からないけれど、ルールがある以上は守ってくださいというのが調査委員会の建前で、教授の懲戒処分も検討するという。
     
    進行中の話題につき、書きにくいことが多い。ご勘弁を。
    February 14

    科学コミュニケーション

    あさ5時50分におきて葉山へ。
    きょうは総合研究大学院大学主催の(現地での)科学コミュニケーターワークショップに参加した。
    総研大は初めて。逗子まで行くのが一苦労。さらに駅前でバスの接続が悪くて二苦労。バスの中はおそらく全国屈指の研究者密度だったと思う。
    終点手前で降りたら、富士山が見事で、苦労は0・5ぐらいになった。
     
    議論は多岐にわたるので頭が整理できてないけれど、こんな意見がこもごもに出された。
    ・科学を大衆に伝えることは大切だが、「なぜ伝えなければいけないか」はさまざまな理由がある
    ・科学コミュニケーションというのは、まずは科学コミュニティと一般大衆との間の営みである
    ・その前に、科学コミュニティの中での異分野コミュニケーションを実現しなければならない
    ・言うのは簡単だが、タコツボ化した研究の世界では、それは容易ではない
    ・一人の市民がすべての科学・技術へのリテラシー(理解力)をはぐくむのは不可能で、それゆえに分業化された専門家に任せているが、その前提は「信頼」だ
     
    などなど。
    私はディスカッションに参加した。科学ジャーナリズムの薄っぺらさも指摘されたが、私からは「研究者にコミュニケーション力をつけるだけなら、いわば、市民として持っていて当たり前の社会生活のお作法をいまさら教えるようなもので、それに大金を使うという意識だと、社会の理解は得にくいと思う」という主旨のことを言った。
    ちょっといじわるかもしれないが、社会と科学との間に立って両方を眺める立場からの、いわば率直な気持ちでもある。
    06年度~10年度の5年間に25兆円の科学技術への投資目標が掲げられたが、漫然と使っていたら、5年後に逆風が吹かないとも限らない。
     
    この日ゲストとして講演した、来日中の科学コミュニケーター、イラン・チャバイさんと東京駅まで戻り、ついでに夕食もご一緒した。
    proofの感想を話した。「数学者が風変わりに扱われるのは、そういう数学者の実例が多いからでは?」というのが彼の感想。そこで実例に挙げたのは、前回エントリでYoikoさんが書いていたエルデーシュ博士だった。
    January 11

    ESその後

    ES騒動の続き。
     
    ねつ造論文2本を掲載したサイエンス誌の編集長が10日(現地)、声明を発表した。
    04年、05年の論文はすでに、取り下げ手続きにはいっている。
    一方で、今回のように「巧妙に仕組まれた」ねつ造を見破ることは、いかに厳密なピアレビューをもってしても難しい、と指摘しつつ、見破るための努力は続けるとした。
    今後、通常の査読システムに加えて、何か新しい対策を打ち出す可能性もありそうだ。
     
    黄教授はあす、反論会見を開くという情報が流れている。
    あしたは明日で予定がぎっしりなんだ・・・。どうしよう(と泣きを入れる)。
     
    いずれにしても、反論の機会は与えられて当然だ。今の段階で私たちは、ねつ造を働いた(ことが事実とすれば)動機について、確定的な情報を知らされていない。黄教授たちに、誰から、どういう圧力、あるいは誘惑があったのか、知りたいと思う。
    倫理的な問題を国としてクリアした韓国は、この分野で事実上、独走態勢にあった。なのに、急ぐ必要があったのだろうか。
    単に功名心だけで、あれほど大掛かりなねつ造をするとは、ちょっと考えにくい。
     
    捜査当局は、ねつ造は研究費の詐取だと見ている。科学への信頼という無形のものだけでなく、有形のもの(公的なお金)についても罪を問う構えだろう。
    教科書にも、黄教授は立志伝中の人として登場しており、記述を削除する動きも始まりそうだという。
     
    疑惑発覚から後のドラスティックな展開は、日本ではあまり考えられないけれど、旧石器発掘ねつ造の余波を思い出した。
    January 10

    ES完全ねつ造

    朝8時半に出社して、一度大臣会見に出た以外は机に張り付いていた。
    昼飯も夜飯も机食いである。
     
    きょうはソウル大ES細胞不正疑惑の最終報告が11時からあった。
    ソウルに出張している永山記者が現地の会見に出て、原稿を送ってきた。
    私たち留守番部隊は、日本国内の患者団体や研究者に取材して、今後の研究の行方や査読システムの限界を記事にした。
     
    今回「ねつ造」とされたのは、04年2月と05年5月のいずれもサイエンス論文である。
    一方、クローン犬「スナッピー」は「本物」と認定された。こちらはネイチャー論文。
    ネイチャーはさっそく「論文が本物だと認定されてよかった」というコメントを出した。
    サイエンスは12月29日のコメントが、今のところ最終のもの。「不正があればすみやかに取り下げます」という姿勢。
    両誌の明暗は、まあ運不運と言っていいかもしれないなと思った。
     
    ピアレビュー(専門家どうしで価値を見極める審査システム)とはいえ、悪意を持ったねつ造は専門家でも見抜きにくい、という。
     
    まして、その成果が報道を通して広く普及する。万一過ちがあった場合、こうやって調査されて訂正されればまだいいかもしれない。訂正されないまま「再現できない」とささやかれている成果、あるいは掲載の発表はしたけれど、その後論文を取り下げたことを公表していない成果もあるかもしれない。
     
    それに対して、報道はどういう責任をとればいいのだろう、と思った。
    まだ答えが浮かばない。
     
     
    December 11

    タウンミーティング

    きょうはタウンミーティングに参加した。
    政府が、いろんなテーマで全国で開いている「国民との対話の場」である。きょうは丸の内で、科学技術基本計画をテーマに開かれた。
     
    参加申し込みは、300人の枠に対して400人超。実際に会場に来ていたのは250人ほどだった。
    こんな寒い日に、熱心な人たちだと頭が下がる。
    タウンミーティングに新聞記者が登壇するのは、歴史上初めてだそうだ。私なりに考えた私の役どころは、国民からの質問に答えつつ、政府側に注文もするという「外部監査役」的なものだった。
    全部で14人の人たちが質問に立ち、私はところどころ答えた。
    私なりの意見も一緒に話した。政府への注文の方が多かったかもしれない。
     
    それはそうと、今朝は寝坊して朝食抜き。出かけるときに、玄関の前にある階段で足を滑らせ、5段ほどお尻で降りた。痛い。
    会場を出たらもう夜だった。家に直帰したいところだが、昨晩の夜勤で残った仕事を片付けに会社に行った。きょうは休刊日で、誰もいない。
    朝も昼も食べてないのだけれど、ビルの1階のコンビニもドトールも開いていず、寒空の下、ほっかほっか弁当まで買いに行った。腹ごしらえして、仕事を3つ片付けた。
    なんか寂しい休日だぞ!
     
    と書いたところで、お誘いの電話あり。(休刊日なのに)
    「なんで職場にいるんですか?」
    「じゃあなんで電話くださったんですか?」
    てなもんである。
    そろそろ店じまい・・・。一杯のんで帰ろう・・・。
    December 07

    in OSAKA

    納豆ネタでここまで盛り上がるとは・・・。
    いちおう、賞味期限は尊重しましょう。
     
    私は九州生まれだが、納豆は欠かさない。東京の人は時々「私たちは納豆食べるけど、関西以西の人はだいっきらいなんでしょう?」と、見てきたようにおっしゃる。
    そんなことないと思うなあ。九州のみなさんいかが?ちなみに私は普段は卵の黄身とネギを入れる。卵がないときはゆかり。揚げ玉を入れるときもある。
     
    さてさてきょうは取材で出張。
    京都では、取材相手の教授が「まずお昼に行きましょう」とおっしゃる。道々謎が解けた。「元村さん、店屋物ばかり食べているでしょう。ブログ見ましたよ。たまにはきちんとご飯をたべないと」。
    ご心配かけてすみません。
    偶然の出会いがもう一つ。車でレストランに移動中、ぐうぜん通りかかった「教授の知り合い」が、私の知り合いだった。2年ぶりの再会。結局4人でご飯を食べた。
     
    京阪電車で移動して、夕食は大阪名物てっちりだ。今冬初のフグ。おいしかった。
    広告、家電、ベンチャー、テレビ局など、食いしん坊の集まりにお邪魔したのだ。
    何しにいったのかって?いえいえこれも立派な取材(の仕込み)。明日が本番だ。
     
    小惑星探査機「はやぶさ」、8割の確率で、イトカワの岩石採取できていない可能性ありとのこと。
    川口プロジェクトマネジャーの無念さを想像する。
    少し残念だが、2度着陸していて、かけらぐらいは入っているかも、という望みもあるそうだ。
    あとは、地球に帰還してくれれば万々歳だが・・・。
     
    今晩の宿には、フロントに毎日新聞夕刊が置いてあった。うれしい。
    今朝朝刊(東京版)、夕刊(大阪版)の科学欄で、科学技術予算がいままで通りのペースで確保できるか危ういという記事が載っている。
    「投資目標ありき」が良いか悪いかという論議はあるだろう。
    でも、目標を設定したり、基本計画を作ったりするのは、政府として「これからてこ入れします」という態度表明であって、それがないと先細りすることが目に見えているから、別の枠組みで守るわけだ。ある、手間のかかる作業。科学振興や理科離れ対策はそれに含まれる。
     
    だから、財務省主計官の「理科離れが起きている状態で、これ以上金をつぎ込むことが国民の理解を得られるのか」という発言は、本末転倒だと私は思う。
    「費用対効果」でしか物事を評価しない発想だと、「未来への投資」という主張が存在感を失ってくる。もちろん、いままでの投資が、それに見合う何かを生み出したかと振り返ることは必要だけれど、3年とか5年で結果が出ないものもある。
     
    と、ノーベル賞受賞の3学者がきょう、谷垣財務相に「陳情」したとのニュース。タイミング絶妙だなと思いながら読んだ。
     
    March 17

    PURとメディア

    みなさん風邪対策ありがとう。どれもけっこう日本的なのが面白い。でもなんで汗をかいたら熱が下がるのか?科学的因果関係があるのかな?

    風邪を引いても、抱えた仕事は誰にも代わってもらえない・・・個人商売の哀しさである。

    きのうは水分も飲み込めないほどノドが痛かった。今週土曜日の科学面の原稿(150行=約1600字=記事としては長い方)をその日のうちに片付ける必要があり、10時まで会社で頑張って、家へ持ち帰って片付けた。へろへろ~。

    今朝10時から、先月のアメリカ出張(なんかずっと昔のことみたい)の報告会。私も科学技術振興機構の業務として参加したので、成果を報告する義務がある。

    今回の派遣の主目的は「Public Understanding of Research」。PUR(ピーユーアール)と略される活動について、どうやったら広く、正しく、効果的に進められるか、日米で知恵を出し合いましょうというものだった。私はもちろん、マスメディアとしての役割を期待されている。

    PURって、英語で考えるとなんとなく分かるけど、日本語にするのが難しい。「研究に対する市民の理解増進」なんて訳されているが、いかにも硬くて。なんかベターな訳ないかな。

    例えば、ES細胞研究とか、ナノテクノロジーとか、遺伝子治療とか、我々の生活を「よりよく」すると期待されつつも、「なんか危ないなあ」とクエスチョンマークがつくような、進行中の科学・技術研究が、PURの対象になりうる。

    PURには、「市民に正しく知ってもらうことは、研究を進めやすくする上で有効だ」とする発信者側の考え方と、「研究が税金で支えられている以上、功罪併せて知る権利がある」とする受け手側の考え方とが混在している。私は両者の橋渡し役なので、「いかにバイアスのかからない情報を、市民に分かりやすく届け、理解してもらうか」を考えている。

    それほど深く考えなくても、ジャーナリズムは基本的に、議論を呼ぶようなテーマを日々取り扱っていて、当然科学・技術もその中に含まれる。しかし、ジャーナリズムは「悪いニュースは大きくなる」傾向がある(というか、悪いニュースほど、読者に読まれる傾向もあるかも)。

    教科書ではあまり教えない「進行中の科学」を、等身大で伝えることが、PURでのマスメディアの役割だと思う。言うは易く、行うは難し・・・なのだけど、実践を積んでいく以外に、処方箋を思いつかない。

    科学館の役割は結構重要だ。資源(ヒト、カネ、場所)はあるから、可能性は広い。だけど科学館が身近でない日本の場合、待ちの姿勢だと広がりは期待できないだろう。

    アメリカで訪ねた科学館のアクティビティに刺激を受けたので、科学面に書いた。19日(土)付け朝刊です。よかったら読んでください。

    February 14

    役に立ちますか?

    メイデーさんありがとう。あなたに全面的に賛成!

    発信箱で私が書いたことは(メイデーさんは一部だけ引用してくださいましたが)、そういうことです。

    科学・技術は「すぐ役に立つ」「やがて役に立つ」「一見役に立たないけど、50年後にここからすごいものが生まれるかもしれない」という、複数の期待値スケールでみた方がよいと思っています。

    もうひとつ、大事なことは、「役に立つどころか、有害なものをもたらすのではないか」という冷静な見方も必要だということです。南山大学教授の小林傳司さんは「科学のよい側面ばかりを教えるのでは不十分」といっていますよね。名古屋大学教授の池内了さんも「科学を等身大で伝えることが必要」が持論です。

    科学が近視眼的になりがちなのは、一つにはそっちの方が研究費が得られやすいってこと。一つには、そっちの方が大衆やマスコミが喜ぶってこと。一つには、大学や研究機関、政府内での評価が3年とか5年きざみになっていて、そこに成果として盛り込めなければ、地位が危うい状況がうまれつつあることです。

    研究者の外的環境はなかなかシビアだとおもうのですが、そこで研究者やプロジェクトは鍛えられます。

    小柴さんのように、外では堂々と「いーえ、一円にもなりません」と胸を張り、内側ではチームを叱咤激励して、そこそこの成果を定期的に出しつつ、パトロン(というのかな、共同研究者かな)を口説いてお金を出させ、という両面作戦ができるリーダーが増えたらいいなと思います。私はこの「あざとさ」が、新しい研究リーダーの条件じゃないかと思っています。

     

    December 28

    仕事納め・・・らしいけど

    地震(というより津波か)は、とうとう日本人まで巻き込む事態になった。しかし、これほどまでにビデオに記録された津波もないのではないか。研究者たちには格好の研究材料になるだろう。

    ようやく書き込むゆとり(というか隙)ができた。まずは科学技術に関するみなさんのコメントを整理。

    科学は夢か道具か

    ・しんすけ@仙台さんは「知的好奇心を満たすもの」と定義してくれた。科学そのものに価値観はなくて、それを受け取る(使う)人が特定の価値を与えるのだが、昨今は生臭くなっていて、「夢か道具か」なんて話になってしまうのだ。どなたかが前に「科学が利権を産む存在になった」と指摘してくれたが、おそらくそれが実態なのだろう。

    ・quyoさんは「科学礼賛時代は終わった」とも指摘してくれた。そうだとすれば、社会における文脈の中で科学や技術をあらためて位置づける必要が出てくる。「夢がないなあ」と思うけど、それが現実だ。こういう醒めた見方をしている人たちが、いわゆるサイレント・マジョリティであるということを念頭に、仕事をする時代になったと思った方がいいと思う。

    ・scienceの語源が「知る」というラテン語であるように、知る営みそのものが、わくわくして豊かなのであって、夢を感じなくなってしまったら寂しい。少なくとも私の仕事は、役にたつとかたたないとか、そういう価値を超えたおもしろさを伝えること。一方で、利権としての科学・技術をウォッチして、おかしいことは「おかしい」と指摘することだと思っている。

    ・masamicさんは「科学と技術は分けるべき」。正しいご指摘。技術についていうならば、「それがある」ことで便利になったり、できなかったことができるようになる」という、何かしらの「前進」が必要で、評価はしやすい。注意したいのは、科学より技術を下位に置く考え方。科学の成果がネタになって、技術が生まれる、という流れだけでなく、何か新たな技術が新しい発見を導く時代になってきていることも知っておきたい。

    ・高校教師さんは「理系がかっこよければ、志望する学生が増える」って提案。そうだと思う。これが特効薬にならなくても、いいカンフル剤になるはずだ。私は前から「イケメン理系が主役のテレビドラマを作ってほしい」と思っている。キムタクがパイロットになった「グッドラック」だっけ? あのドラマは理系イケメンが主役だった。こういうと「そんなに社会に迎合してどうする」と突っ込まれそうだが、そういう分かりやすいアプローチがあってもいい。

    用事ができたから、続きはまた後で。

     

    December 22

    nqさま、みなさま

    「科学の恐るべき発展」へのnqさんからのコメントが、とっても本質的なので引用します。

    どうしたら、科学がかつての地位を取り戻せるのか、科学者、技術者(「理系」!)が尊敬を取り戻せるのか、というのが最も重要な課題だと思います。
     「理系」や「科学」に敬意をもたず、道具としか見ていない小泉ー尾身路線の総合科学技術会議がその課題にとりくむことはないだろう、というのが(残念ながら)私の見るところです。

    私からの質問は次の3つです。

    ・「科学のかつての地位」というのはどういうイメージですか?新幹線、アポロ、湯川秀樹という、科学が夢を与えてくれた頃のイメージでしょうか。

    ・「科学を道具としてしか見ていない」というところ、激しく共感しますが、では道具であってはいけないのでしょうか?まさに科学論、科学哲学の範疇ですが、21世紀における科学ってのはどうあってほしいですか。

    ・基礎科学(この呼び方も応用主体というイメージがあるから純粋科学といいましょうか)を大切にするって、どうしたらいいのでしょうか。アイデアはありますか。

    私が気になっているのは、科学が夢を与えてくれた存在であった時代のイメージで、21世紀も科学を語り続けていいのかどうかというところです。理系白書をやっていても、いつもそれが引っかかります。少なくとも社会にはそっちの方が受け入れられると思うけど、間違うと、単なる懐古趣味になりかねないと思うのです。

     

    December 21

    雑感

    連日1時2時で疲労困憊。

    書き込み諸氏の元気の良さで、さらにエネルギー吸い取られそうであります・・・

    「昨今の科学技術の恐るべき発展は」という書きぶりに疑問が提示されていますね。

    私が「目ざましい」とか「素晴らしい」といわずに「恐るべき」ということばを使った真意が伝わらなかったですね。それと、「発展」という言葉も、どの局面で評価するかで、まったく点数が違ってきますから、少々補足が必要です。

    総合科学技術会議が主導した第二期科学技術基本計画は、一部の方はご存知のとおり、重点分野を4件指定して、そこに金を集中投資しようというものです。

    基礎研究も大切だ、ということは強調されていますが、実際には基礎研究の中でも重点分野以外には金がいきにくい構造になっています。

    そうしたアクションプランができた結果、何が生まれたか。

    その1.競争的環境が強まりました。よい方向へ向かったものも、悪い方向へ向かったものもあります。

    その2.「恐るべき」額の税金が、科学技術関連事業につぎ込まれました。5年間で24兆円という計画です。それで育った分野と、育たなかった分野があります。

    その3.科学技術がある意味で「金看板」になり、霞が関のお役人や議員が「科学技術に乗っかるとおいしい」という気持ちを持ち始めました。少なくとも科学技術関連予算だけは、不況の中でも右肩上がりです。

    物事には必ず、表裏があります。ですから「恐るべき発展」は、評価できる面と評価できない面をはらんでいます。ただ、計画がなかったら(あるいは基本法がなかったら)、科学技術はこれほどまでの地位を勝ち得たでしょうか。

    ノーベル賞も、確かに受賞者の業績はすべて、基本法ができるずっと前に、研究開発をやっていた人たちのものです。一方で、税金をじゃぶじゃぶ入れて、日本の存在感(あるいは知名度)が世界に浸透したことや、それがノーベル財団の耳目を集めたことが、受賞者の続出とまったく無関係だとは思いません。

    例えば、二期計画で「受賞者を今後50年間に30人」と掲げたことは、ネガティブな評判として世界中に広がりましたが、その半面、日本が本気だという印象を広めた部分もあります。これも表裏あって、評価が難しい。

    研究者たちが自分の意思で、自分の実力の範囲でできることをやっていれば科学技術は進展するのであって、お上は口を出すなというのだと、おそらく今のような発展はなかったでしょう。逆に言えば、お上ができるのは、ちんどん屋的な支援が精一杯。それでも、やらないよりやった方がいいと私は思います。

    科学技術の競争力が本当に2位だって?学力が落ちているのに科学技術立国だと?という疑問は私も持っています。むしろ、国(行政)に望むのは、1期と2期の計画でもってがむしゃらに肥料をまいて耕した畑に、3期で何を植え、どう育て、収穫物を何に生かすのかという長期的(5年ではおさまらない)なビジョンです。その計画の「受益者」であるべき研究者や技術者、大学生、「利害関係者でない傍観者」のマスコミが、これからどう、くちばしを突っ込んでいくかが重要だと思います。

     

    December 20

    年の瀬

    午前中は、総合科学技術会議に新しく設置された「基本政策専門調査会」の初会合を傍聴した。

    この調査会は、科学技術基本計画を検討する。「科学技術基本法」(科学技術分野の憲法みたいなもの)に基づいて、振興策を具体的に示すために計画を立てる。昨今の科学技術の恐るべき発展は、この計画のおかげといってもいい。

    05年度が、第二期計画の最終年度にあたるので、そろそろ第三期も作らなくちゃね、ということで、各分野の専門家を集めて話し合うというわけだ。

    上智大教授の猪口邦子さんとか、弁護士の住田裕子さんとか、iモードの松永真理さんとか、テレビでよく見る人文系の人たちも数人混じっていて、興味深く議論を聞いた。

    そのことはおいおい書くとして、島津製作所の田中耕一さんも委員の1人である。終わってから声をかけ、出口までご一緒した。

    彼はタクシー、私は地下鉄なのでそこで別れたが、「よいお年を」と言ってから、「そっか、もう今年もあと10日しかない」と気がついた。自分で言っていながらヘンなものだ。

    子どものころに比べて、クリスマスとかお正月とかへの浮き立つような気持ちがずいぶん減った気がする。

    大手町で地下鉄を乗り換えるところで、「マツケンサンバ」のDVDポスターに遭遇。恥ずかしいのでしげしげと見ることができないが、バックにロケットの打ち上げシーンと惑星かなんかがあしらってある。「どてらい」「すんごい」という雰囲気を伝えたいとき、宇宙って素材は便利なのだろう。

    それはそうと「しれっと」をめぐる書き込み、興味深く読みました。

    私は九州生まれで、よく使っていました。例えばこんな感じ。

    「有希子!ここにあったお菓子ば食べたとはあんたやろ。なんね、しれーとしてから!」

    なお、私は女ですが、署名なしで原稿を見て、男と間違える人は多いです。「科学には女が少ない」「記者には女が少ない」という先入観もあると思いますが、私の書き方が男っぽいのかな。

     

    November 16

    当事者は?

    ITERについて、コメントが寄せられているのでちょっと整理を。

    ここにコメントを書き込んでくれた方々は、ある程度、核融合に関する基本的知識がある人と私は見た。そのうえで、「ここがわかんない!」「こうしてほしい!」と指摘してくれた点を、箇条書きにしてみる。

    ・この金食い虫(イーター)を日本に誘致するメリット

    ・地震への備えは大丈夫か

    ・メリットとデメリットを客観的に比較したい

    ・なぜ六ヶ所村なのか

    ・無駄な公共事業にならないか

    ・本当のことが知りたい

    ・半世紀以内に実現するのか

    そして、マスコミの役割についての注文も。

    ・むしろ科学者よりマスコミの領分だ

    ・有効性と経済性をマスコミが検証していない

    とりあえず、偏りのない情報の量が少なすぎるのだね。

    私が取材しての実感は、専門家に聞いたとしても、その人の立場を反映するので、微妙にバイアスがかかる。炉の材料の開発についても「いまはできていないが達成可能」という言い方をされると、真っ向から「うそでしょ」という根拠は誰も持たない。同じ核融合研究者でも、手法の違いによって立場が変わってくる。

    ただでさえ少ない情報なのに、公平に判断する材料がこれまた少ないことが、ITERを分かりにくくしている。

    当事者の方、これ読んでたら、意見を書き込んでいただけませんか?国民は(全員じゃないけど)じれったく思っていますよ。

    マスコミの役割については、私もその一員として、考えていきたい。

     

    November 11

    税金の使い方

    スパコン競争にさっそく、コメントありがとうございました。

    ronjaさんの「ホントに地球シミュレータは優秀なのか?」、JohnSmithさん(なんかお久しぶりでした)の「飛行機と電車は比べられるのか?」という問いかけ、とてもいい指摘。ご意見ある方、コメント求む。

    ところで、宿題のクイズの答え(アメリカ政府が今後力を入れる分野の第一位)、実は「ITER」なのだった。

    ほとんど知名度のないモノなのでちょっと説明すると、ITER(国際熱核融合実験炉)とは、核融合反応で出る熱を発電に使おうという、「21世紀の新エネルギー」の実証炉である。「国際」と名がついているように、日本を含めた5カ国とEUで一つ造ることになっている。

    ところが、どこにつくるかで、もめにもめている。

    手を挙げているのは日本(六ヶ所村)とEU(フランス)。日本に米韓、EUに中露がついて、3対3の壮絶な綱引きを展開中なのだ。そもそも昨年末に「日本建設」と決まる予定だったのだが、紆余曲折があり、交渉が暗礁に乗り上げた。

    9日、ウィーンで4カ月ぶりに開かれた6極の次官級会合は、やっぱり結論は出なかった。日本もEUもお互いに譲らないので、決まるはずがない。その代わり「年内に閣僚級会合を開きましょう」という合意を取り付けた。

    これがどういう意味を持つか。少なくとも日本では、「閣僚級会合イコール決着」と受け止められている。理屈で解決しないこじれたケンカは、政治家に解決してもらうのが一番だからだ。

    米政府が、どういう理由で「推進すべき政策」の筆頭にITERを掲げたのかは、取材していないので分からない。おそらく核融合発電を「有限な化石燃料に頼らず、原子力ほどリスキーじゃなく、地球温暖化を促進しない未来のエネルギー」と位置づけているのだろう。ブッシュ大統領は陰に陽に日本誘致を支持していて、日本にとって心強い味方であることは間違いない。

    重要なのに、多くの国民が知らされていないことは、日本誘致が実現した場合、7000億円を超える税金がそのプロジェクトに投じられるという事実だ。

    科学技術は不思議なことに、公共事業や年金などに比べて、国民のチェック機能が弱いと感じる。ほとんど無批判に、科学技術への投資が容認されているのは、私に言わせれば「なんで?」という感じだ。科学者は聖人君子だから、税金をムダに使うことはないと思われているのだろうか。それとも国民の代表である国会議員が、ケムに巻かれているのか。

    知らせない政府の責任と、知らせているつもりでも伝えきれないマスコミの責任もあるけれど、もう少し科学技術への税金投入にも、納税者は敏感になっていい。

    それは「ムダ使いだ」と批判することだけを意味するのではなく、「せっかく税金を使うのだから、私たちにもっと知らせてほしい」と要求することも含めて。それがゆくゆくは、私たちの科学に対するアレルギーをなくして判断力をつける。科学者の意識も変えると思う。

    October 25

    SプラスA

    地震が起きたので、書きそびれていた。

    21日に総合科学技術会議が開かれた。今年3年目の「科学技術分野の優先順位付け」も公表された。8月末に各省庁が財務省に出した、政府予算の概算要求の中から、科学技術にかかわる事業を取り出して、S・A・B・Cの4段階で「格付け」したものだ。

    去年、小柴昌俊・東京大名誉教授が、ニュートリノ関連の実験施設の整備事業に「C」評価がついたことに異議を唱えたことで、世間に広く知られるようになった。

    ともあれ、今年も、総合科学技術会議の有識者議員と科学技術担当相が、275件を採点した。興味深いのは、「優」と「良」にあたるSとAの割合である。

    昨年は、両者の割合が、要求額の88%を占めていて、財務相が「多すぎるなあ」と注文をつけた。今年は72%に減ったのだが、21日の本会議でも、財務副大臣から「70%以下にならないか」と、さらなる要望が出たという。

    財務当局の思惑は「この結果で政府原案の査定をするんだから、あなたたちがいいのはいい、悪いのは悪いってきちんと評価してくれなきゃ困るよ」というものだ。さらにいえば「俺たち科学の素人なんだから、この評価が頼りなんだよ」ということになる。

    あれ?じゃあ今まで、財務省はどうやって査定していたのか?

    もう一つ。この評価結果はとても重要な役割を果たすわけだ。カネの切れ目は縁の切れ目である。どんなものが「S」評価になっているかというと、「もんじゅ」「ITER」をはじめとする国策絡みや、総合科学技術会議が推している「重点4分野」関連が中心だった。

    「中身はいいから絞れ」といってのける財務省はたいそう業腹だが、評価する側も相当な覚悟がいる。財務省の主張する「相対評価」を前提とする以上、メロンと柿とオレンジとバナナを並べて「どれがおいしいか。どれが腐らないか。どれがおなか一杯になるか」と比べなくちゃいけない。

    それができるのか。でもやらなかったらどうなるのか。誰に聞いても、「難しいよね」との声こそあれ、絶賛する人はいない。

    この現実をどう評価したらいいのだろう。もう少し考えてみたい。

    October 21

    科学者と政治

    いま、文部科学省が熱い。

    例のコイズミ「三位一体改革」で、今は国が負担している義務教育費を、地方自治体の裁量にゆだねようという問題である。これまで自治体の首長や教職員組合など、いわゆる「利害関係者」の抵抗が主だったのが、様相を変えてきている。きょう、官邸と文部科学省に「反対」の緊急アピールを提出した22人は、「日本の頭脳」と呼んでもいい科学者や大学人たちだ。

    江崎玲於奈氏をはじめ、ノーベル賞受賞者が4人。大学学長が現職、元職合わせて18人。各分野で科学を引っ張ってきた重鎮ばかりだ。メッセージいわく「教育は100年の大計。投資を増やすどころか、財政論を持ち出して安易に現行制度を廃止するなんて、極めて憂慮すべき事態だ。これでは、義務教育に地域間格差が出て、教育の機会均等が損なわれる」。

    ノーベル賞受賞者で理化学研究所所長の野依良治氏は「日本を支えていくのは人材だ。義務教育の受益者負担は学生本人じゃなく、国であり世界だ」という。同感である。こうもおっしゃった。「きちんとした義務教育を受けて、基礎ができていれば、大学で大きく育つ。基礎がきちんとできていないと、大学でいくら教えても、育たない」

    行動の背後にはおそらく、科学・技術を含めて日本の将来を支える人材が減り、先細りするのではないかという不安がある。アカデミアの一員として「教育論をさしおいてカネの議論なんておかしい」という憤慨もあるだろう。

    私もそう思う。日本は、GDPに占める公的教育支出の割合が5%。他の先進国の半分以下だ。子どもを守れ、教育は大切だといいながら、やせっぽちの教育支出をまだ絞るつもりか。

    でも、社会的に影響力のある先生たちばかりなのだから、もっと早く行動を起こしていただきたかった。冷静に見れば、この義務教育費問題は、コイズミ改革主義の暴風にまかれて、まさに風前の灯である。もう半年、もう1年早く、科学者が「正論」をタテに物申し、世論が動けば、参院選の争点ぐらいにはなったかもしれない。

    政治は世論にさとい。世論が動かなければ、政治も動かない。正論は聞き流されるだろう。

    科学はいつの時代も、政治に利用され続けてきたのではないか。これからは科学者が政治を利用するぐらいになるべきだと思う。

    October 10

    どうすればよいか

    いやあ皆さん、本当にありがとうございます。

    厳しい指摘(もっと現場にいけ!)や本質的な指摘(研究費の使いにくさ)、欧米のシステムなど、たくさんの意見をいただき、いま感じていることを書きます。

    まず、議論はとっても大切ですが、議論してるだけでは、物事は改善しないということです。ブログが「英雄ダビデ」であるとしても、使いにくいシステムなら使いやすく変えるべきです。特定の研究室にばかり研究費が集中する現状が背景にあるなら、それを改善するべきです。そのために、誰に何ができるかを考えなくてはいけない。

    それと、このブログが、科学・技術を真面目に考えている人たちに読まれていることが分かったことはうれしいです。わたしに失望される方がいたとしたら、それは私の言葉が足りなかったり、未熟なせいでありますが、だからといって、完全無欠になるまで口をつぐむわけにもいかない(もとより完全無欠にはなれない)。

    目の前の現実を、ありのままに、時にはあざとく、社会に伝えていくしかないのです。

    それと、何よりも、研究の現場にはこうした問題があって、それがやがては社会全体の問題になりかねないってことを、社会全体の人にわかってもらうことが、けっこうホネです。これは、日常的に感じていることです。

    こういうまじめな議論が、「コップの中の騒ぎ」にならないよう、気をつけて見ていくことも、私の役割だと思っています。

    いま、はやりの「サイエンスコミュニケーション」そのものですね。

     

    October 09

    研究と事務

    Sさん、大学の研究室の「雑用過重」実態についてのご意見、ありがとうございます。とても本質的な議論になってきました。

    10月6日、東京都内で、第三期科学技術基本計画策定に向けた特別委員会の初会合がありました。

    大学人、企業人、基礎、応用、大学発ベンチャーをやっている人、経済学者など、さまざまなジャンルの有識者がそろいました。初会合ということで、22人の委員全員が「今とこれからの科学に何が必要か」という意見を述べました。

    今回の問題に関連したものをいくつか紹介します。

    「ナノテクノロジーや安全・安心に関する戦略の立ち上げには、米国科学アカデミーが深くかかわっている。日本の学術会議の貢献にも大いに期待しているが、大きく違う点として、あちらには、専門で事務にかかわれるスタッフが1100人いる」

    「大学で教育をし、院生の指導をすると、自分の研究はできない。ここへ来る車の中で研究のことを考えるのが精一杯だ。事務に忙殺され、外国との差は歴然としている。ぜひサポートシステム充実を」

    「プロジェクト研究は大きな成果が出せるが、それにみなが巻き込まれ、そこから離れた独創性や知恵を生み出す余裕がない。若い人もこれでは育ちにくい」

    「大学院の学生は、実態として教授の共同研究者になっているのに、学費を払っている。もっと彼らを支えるための資源投入が必要だ」

    ある大学の先生は、こんな風に嘆いていました。

    「週末にうちの大学で国際学会をやるというのに、事務の人は『休みですから』と休んでしまう。結局、主催者である我々が、駐車場の交通整理をやり、コーヒーをいれ、資料をコピーしている」

    希望があるとすれば、国立大学が法人化され、例えば研究大学として特色を打ち出していくなら、研究を支えるシステムをどう構築するかがカギになります。院生にTAやRAとして働いてもらうだけでなく、米国のように、研究費から奨学金を出しましょうというところが出てきてもいい。

    ここであまりマニアックな話はしませんが、私を含めたたくさんの科学技術ウォッチヤーが、問題意識を持っていることは事実です。