| 元村有希子・田中泰義's profile理系白書ブログBlogLists | Help |
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August 07 原爆忌 元村です。
なんと、この数日間、私のマシンからブログの編集ができなくなっている。なんてこと。管理人なのにぃ。
9月の3周年を機に引越しを検討しております。ご不便かけているみなさん、もうしばらくご辛抱ください。
さて。
日付が変わってしまったけれど、6日は広島に原爆が落ちた日だ。
今年の原爆忌は、なぜかとても気になった。理由は分からない。人間には何かそういう「タイミング」というものがあるのか。
朝も8時に始まった式典を、全部見た。
特に、秋葉市長の式辞は胸を打たれた。列席した安倍首相はどんな気持ちで聞いただろうか。
気になる理由をあえて挙げれば、長崎市長の銃殺とか、防衛相の「しょうがない」発言とか、憲法改正の動きとか、原爆症認定基準をめぐる判決(への国の控訴)とか、いろいろある。
まだ終わってないことに、強引に幕を引こうとしているように見えてしまう。
昨夜から始まったNHKの「核クライシス」もちょっとショックだった。
広島で、原爆が地上で爆発した場合の被害を、研究者たちが調べているという内容だった。
あってほしくない、あってはいけないことだけれど、あえて調べるのには意味があるという。
それは、核テロの危険がゼロではないってことが一つ。
もう一つは「原爆や戦争を知らない世代に、原爆の本当の恐ろしさを実感してもらうため」だという。
その被害想定に基づいたCGというのが、迫力が十分すぎて、私はうなされそうだった。
リメーク版「日本沈没」でさえ、ウソと分かっていても大泣きしたのである。
泣いていてもどうなるものでもない。何ができるか、何をすべきかをきちんと考える日にしたい。
ちょっと救われる話題としては、あのクィーンのギタリスト、ブライアン・メイさんが、36年がかりで博士論文を完成させたという。
分野は天文学。
「黄道のちり雲における視線速度」って、テーマとしてどうですか?天文屋さん教えてください。
学問は一生続くのだね。
July 12 21世紀の予言元村です。
41回目の誕生日は午前4時半、7カ所を蚊に食われてかゆくて起きた瞬間から始まった。
ついてないなあ。でも夏だなあ。
夜は職場の仲間と(たまたま)会合。仕事で遅れる同僚が来るたび「では元村の41歳の誕生日を祝って」と、計5回も乾杯してもらった。
なんってこったい。
ところで、昨日の新聞に「私が予言する21世紀」というアイデアコンクールの記事が載った。
これには少し逸話がある。
2005年の春、私は「20世紀の予言」と題したコラム(「発信箱」)を書いた。
百年以上前の1901年の正月、報知新聞が正月特集で、「20世紀中に実現してほしいこと」を23項目「予言」として掲載した。
なんと、そのうち17項目が、一部または完全に実現したのだそうだ。
たとえば、
・7日間世界一周(飛行機の発明と発達)
・ソラマメをみかん大にする技術(遺伝仕組換え?)
・写真電話(テレビ電話)
・買物便法(ネットショッピング9
・暑寒知らず(エアコン)
みたいなもの。
それを紹介したのだが、切り抜いて、とって置いてくれた人がいた。
長崎市で来年開かれる、日本外科学会の兼松会長さんである。
20世紀の予言は、23項目のうち17項目が、一部またはすべて実現したんだそうだ。
じゃあ21世紀はどうだろう。
私たちが願う21世紀末(あるいは「22世紀はじめ」)の生活って、みんなが同じだろうか。それは実現しているだろうか。
じゃあ、みんなで考えてみよう。
・・・と、その会長さんは、国民に呼びかけることを思いついた。国民から集めて、来年5月、長崎で開く定期学術総会で、おもしろい「予言」を選んで発表するのだという。
予言だから、はずれようと当たろうと、関係ない。その中身に、その人が現れる。
ちょっと楽しいと思う。
みなさん、応募してみませんか?
小学生以下・中学、高校生・大学生、一般・・・の3部門で募集している。
なんでも結構なのである。
募集要領はこちらから。
予言しにくい世の中だからこそ、楽しいかも。
お誕生日ということで、何人かの方からおめでとうメール、そして京都の蜂蜜、千疋屋のチーズケーキなど届く。
おいしそうだ。
明日さっそく、トーストに蜂蜜を塗り、チーズケーキをデザートにしてみよう。
40歳過ぎてもなんだか楽しいぞ。
ね、みなさん。 June 03 論理的に話す元村です。
仙台のホテルで朝食。好物の笹かまぼこが食べ放題で、貪り食っていたところへ携帯が鳴った。
「元村さん今仙台にいるんだって?」と、知人の研究者である。仕事場は某他県だが、自宅が仙台にあるため、この週末たまたま帰ってきたところだという。
「ブログ見たらさ、仙台にいるっていうからさ」
「でもこれから新幹線で東京に帰るんですよ」
「ニアミスだったね、ではお元気で」
いったん会社に寄った後、お茶の水女子大で開かれたSTS(科学技術社会論)学会のシンポジウムに出かけた。
テーマは「研究の不正」。STSだけあって、生物系、科学哲学系、マスコミ、行政、いろんな世界の人がいる。議論もあっちこっちからいろんな意見がでて活発だ。
「論文のデータをでっち上げるのはいけないが、自分に都合の良いデータを使って論文を書くことは、研究者なら誰でもやっている」
「メンデルもデータを捏造したが、考え方そのものは正しかった。じゃあベル研のシェーンはどうだ?彼の仮説が証明されたら、彼は捏造犯ではなく予言者になるのか?」
「ジャーナルの商業化が進んだことが、不正の温床になっていないか」
などなど。
あちこちで聞く意見ではあるけれど、さまざまな立場の人が同じ場所で異論を戦わせることに意味がある。
ところで、いろんな人が居合わせる場では、意見をきちんと伝えることは難しい。
感情に流れず、適切に言葉を選んで、その場の議論の流れを踏まえたうえで、持論を筋道だててコンパクトに表明する。
これ、結構大変である。均質な集団と違って、言葉の定義一つとっても、人それぞれだったりする。
講演や授業に呼ばれることが増えて、一方的にしゃべる事に関しては、だんだん馴れてきた。
「話が論理的で分かりやすいですね」と言ってくれる人もいる。でもそれは、用意してきた考えを、順序良くしゃべればよいからである。
議論の場で、自分の意見を伝えられるようなトレーニングもしなくちゃ、と痛感する。
さて、会場で昨夜ご一緒した研究者と会った。
「きのうはどもー」と雑談していたら、たまたま居合わせた別の研究者が、「あ、元村さんがイタリアン一緒に食べたのはこの人?」という。
あなどりがたし、ブログの発信力。 May 26 週明け第二部スタート元村です。
東京はいいお天気。きのう一日雨だったから、よけいにそう思う。
着替えてお出かけ・・・といきたいところだが、家で仕事なのだ。
来週から、理系白書07「社会の中へ」第二部が始まる、その準備に追われている。
今回のテーマは「科学技術は誰のもの」。
誰のもの、って、それは社会のものだ・・・というのが私たちのスタンスだ。
社会といっても実体がないもので、しかもその所有物とするのは少し無理があるけれど、つまり科学技術は社会の合意によってコントロールされていくものであってほしいと思う。
第二部では、社会の合意を得ないまま進んでいる科学技術、一部の専門家に取り扱いがゆだねられている科学技術について考えていこうと思う。
・・・と書くと、「社会っていったい誰のことだ?」という疑問がわいてきて堂々巡りをしてしまう。
第一部「科学と非科学」もそうだったが、書きづらいテーマを選んでしまった。
案の定、四苦八苦している。
理系白書はこれまでの5年間もそうだったけど、参考にできる「お手本」がない。だから苦しい。
だからやりがいがあるともいえるのだけど。
さてさてこれからインタビュー3回分をメモにするのだ。 May 13 北海道元村です。ヤス~!
週末は北海道へ出かけてきた。函館と札幌で一回ずつ、違うテーマの講演があった。
この季節の北海道は初めてだったので、発見を思い付くままに。
函館は桜が満開を過ぎて散りぎわ。街路樹はぽわぽわと新芽が芽吹いていて、春らんまんというところだ。
「ここは年によっては、桜より梅が後に咲くこともあるんですよ」と、私を招いてくれたはこだて未来大のひとが教えてくれた。
モクレンもいま盛り。東京在住の私にとっては、1カ月半ほど時計を巻き戻したような感じがある。
翌日は札幌へ。函館から札幌への移動をどうしようかと、出発前に思案した。
実は私、函館と札幌がこんなに離れているとは思わなかったのである。
特急に乗ったら3時間ちょっと。飛行機だと、函館から丘珠(札幌近郊の小さな空港)の間の移動と、空港までの移動を含めればやっぱり4時間がかり。
迷ったすえ、少しだけ寝坊できる特急にした。
風景の移り変わりがとても楽しかった。しかし1時間もすると、右側はずーーーーっと海。(噴火湾)
札幌は肌寒い天気だった。北大理学部にあるCoSTEP(科学技術コミュニケーター養成ユニット)の今年度の開講式があり、そこに招かれた。
「こういう寒さをリラ冷えと呼びます。でも札幌の人にとっては待ちかねた春だから、寒くてもジンギスカンでビールなのです」と、ブログ「5号館のつぶやき」で知られる准教授が教えてくれた。
開講式とはいえ、受講生以外にも告知していたということで、学内外から200人近い人たちが来ていて、すり鉢状の講堂はぎっしりだった。
私の前に数学者の秋山仁さんがとってもいい講義をなさったので、和やかな雰囲気のまましゃべることができて、助けられた。
秋山さんとペアで講演というのは、偶然だけど2回目なのだ。
手法は違うけれど、根底に流れるメッセージは同じで、2人の講演が補い合っていた、と言ってもらえた。(事前打ち合わせなしですよ)
CoSTEPの皆さん、秋山さん、貴重な機会をありがとうございました。
翌朝は出発までの時間、仲良しのMさんが「札幌に行ったら行くべし!」と推薦するモエレ沼公園へ2人で出かけた。
丘珠空港のちょっと先。桜は散り際で、広大な芝生をたんぽぽが彩っている。
ここは、彫刻家のイサム・ノグチが「地球を彫刻する」と心血を注いだ(そして完成を見ずに亡くなった)公園で、どこを撮っても絵になる。
風景もよかったが、ランチに出た健康そうなアスパラガスも負けないぐらいよかった。
東京に帰ってくるまでに、花を持ったひとをたくさん見かけた。そうだ。きょうは母の日だ。
プロフィルの写真もモエレ沼公園に差し替えました。カラマツです。 April 22 春愁そしてサイエンスカフェ元村です。
たくさんのコメントありがとうございます!
「理系白書居酒屋」、もうどなたもおいでにならないかと思っておりましたが、看板を眺めに来てくださってはいたわけですね(笑)
以前見た「UDON」(映画)を想い出してしまいました。
うれしいことはうれしいこととして・・・
昨今のニュースは暗い、つらい、切ない、くやしいことが多い。
バージニア工科大の32人殺害事件。
長崎市長射殺事件。
そしてけさの毎日新聞には、特急列車内で女性が強姦され、客は犯人にすごまれて車掌に知らせることができなかった、というニュースを伝えている。
日本ですよ。日本の出来事。
なんと言ったらいいのか。もう言葉もない。
自分の身は自分で守るしかない!と言い出すと、これは米国の銃社会を支持する人たちと同じ主張のように思えてくる。
自分の身は自分で守る。
同じことを昨日も考えた。日本橋三井タワーで開かれたサイエンスカフェの席上である。
テーマは「テレビの科学報道」。
「発掘!あるある大事典」にとどまらず、テレビの科学番組(バラエティ系を含む)がどうやったら信頼を担保されるかについてディスカッションした。
参加者からは「受け取る私たちがちゃんと判断力を持っていれば、だまされることはない」という意見が出て、けっこう活発な議論になった。
それは正論で、いわゆる科学リテラシーとメディアリテラシーを持っていれば、自分が損をすることはない。納豆を買いに走り回ることもなければ、白インゲンダイエットでおなかをこわすこともないわけだ。
「マスコミは信用できないので、国が番組や記事の信憑性についてレーティングをしたり、報道の内容について管理すればいい」という話題も出た。
私は客として座っていたが、科学記者の立場から意見をしゃべった。
記者が責任感を持って取材すること。協力する科学者も責任を持って最後まで(できあがりまで)関与すること。結果について、お互いに批判しあいながらよりよいものにしていくことが必要で、これを国が管理しだすと、科学報道に限らず民主主義が危なくなる、というような意見をかいつまんで話した。
研究職の参加者からは「科学報道は、その時点で一番確からしいと、その科学者が考えていることを紹介するものだと考えた方がいい。でも受け手はそれが絶対的であると思って受け止めるから、そこにギャップが生まれるのではないか」という意見も出た。
サイエンスカフェは、いろんな立場の人が比較的自由にしゃべれるのがいい。
話題はあっちこっちにいくが、その「あっちこっち」があるから、そのテーマの全体像が見えてくる。これはけっこう貴重な経験になる。
目下「科学技術週間」で、集中的にカフェが開かれているが、日常的に開かれている場があったらいいなあと思う。
今週私は、ゲストとして1回、客として3回参加した。
夜は築地に移動して、魚と日本酒を味わいつつ、日本の教育(産業)の将来について語り合う。
以前は築地の寿司屋でひどい目にあったが、この店は幸せな気持ちになれた。 February 05 偽、似非、擬似・・・元村です。
コメント欄で、みなさんの議論を拝読しています。
通常業務に加えて、連載が始まると、その取材、執筆、打ち合わせなどが押し寄せ、ブログの書き込みが滞りがちになってしまいます。
3月末まで、週末は休めそうにないなあ。
さて、連載のサブタイトルは「科学と非科学」としていますが、世の中では、対象によっても、人によっても呼び方が違います。
「擬似科学」
「似非科学」
「偽科学」
「未科学」
どれも、現時点で定義されている「科学」の範疇には含まれない、という共通点を持っていますが、少しずつ意味が異なっていて、使い分けに気を使います。
ちなみに昨年4月の発信箱で「ニセ科学の罪」という題名で「水からの伝言」を取り上げたところ、反響をいただきました。
多かったのは呼び方の問題。
「趣旨は理解できるが、科学でないものは全部ニセ科学、とレッテルを貼っているような印象を受けた」
といった内容でした。
受け手によって語感が変わってくることもあり、言葉は難しいと思います。
話は変わって・・・。
健康な精神は健康な肉体に宿るのです。
私の元気の源はやっぱりおいしい食事。
きのう食べたしゃぶしゃぶには、タラバガニが少しついてきました。
生のタラバガニってほとんど食べたことがない! しゃぶしゃぶと泳がせて、ポン酢でいただきました。
外側は白く火が通って、中は半生。ぷりぷりしてて、おいしいのおいしくないの。(おいしい)
食事と同じぐらい大切なのは、気の置けない友達です。
おとといは中学時代の同窓会。
私は九州出身だけれども、同じ学年の同級生の3割ぐらいが、いま首都圏に住んでいるというのは驚きでした。
大勢でしゃべっているうちに、男子の一人が「実は・・・」と切り出しました。
何かと思ったら、「修学旅行の時、やんちゃ坊主で女子風呂をのぞきに行ったんだ」という告白。
未遂か既遂か、誰がいたか、という詳細は聞かないまま。
若気の至りのイタズラを25年間も黙っていたというのは笑えましたが、我々も、それを笑って許せる年齢になっているわけですね。 February 01 ニセ科学、マスコミの責任元村です。まずお知らせ。
昨日の朝刊(東京本社版)から、今年の理系白書がスタートしました。「科学と非科学」。1回目は、波動をうたったビジネスに焦点を当てています。
これから3月まで、いろんな題材を通して、非科学(未科学、ニセ科学も)とどう向き合うかを考えていきます。
初日から多くの反響をいただきました。
・波動を信じないなんてかわいそう
・友人が凝っているのは「波動」ビジネスか?
・目に見えない、科学で実証されていないからといって、ぜんぶ「ニセモノ」と否定するのは科学万能主義の弊害だ
などなど、いろんな意見があります。いずれ反響特集もできればと思っています。
お知らせは以上です。
28日付けのエントリに、研究者のみなさん(だけではないですが)から多くの意見、注文、お叱りをいただきました。
あるある大事典に「騙された」科学者が、その時に行動しなかった、ということを一般化して、「世の中の科学者は無策だ」という結論に持っていくのはいかにも乱暴だ、という指摘です。
実際、「水からの伝言」について早い時期から動いてきた天羽優子さん(山形大学)や、前のエントリにコメントをいただいた菊池誠さん(大阪大学)のよう方もいらっしゃるわけで、ここは私の思慮の浅薄さと筆力のなさをお詫びするしかありません。
いろいろな研究者を「科学者」と一くくりにするような書き方はしないよう、気をつけます。
菊池さんがコメントで指摘していらっしゃるように、「じゃあ新聞記者は何をやったんだ?」というのももっともです。
マスコミが(これも一くくりにした表現ですが)、自分の無策を棚に上げて、「科学者は何もやってない」と言うのは許されないと思います。
このテーマは、自分の中でもずっと引っかかってきたことです。
ニセ科学が、法律違反や経済被害が生じた時点で、行政当局によってしか正されない現状でいいのか?
科学記者は、このテーマをタブー視していていいのか?
・・・ということで、理系白書として、取り組むことになりました。
こちらも手探りです。
みなさんの意見を取り入れながら、中身のある内容にしていきたいと思います。
>「発信力」については、少なくとも僕のような一般の科学者が自前で持ちうるメディアはせいぜいウェブやブログ程度しかないのだということを改めて指摘させてください。ブログの影響力など、マスメディアであるテレビや新聞とは比べものにならないほど小さい。大メディアがきちんと取り上げてくれないかぎり、「発信」の効果にも限りがありますので、(菊池誠さん)
「水からの伝言」を信じないでくださいhttp://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/
上記菊池さんのブログ「kikulog」http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/
などは発信力のある研究者(今回のシリーズにも登場されます)によるサイトですが、「これはおかしい」と思った研究者や親御さんがいたとしても、個人の発信力には限界がある、ということは、ある意味で現実です。その点、良くも悪くも波及力を持つマスメディアの役割は大きいと感じています。 January 30 続・まだある大事典元村です。
以下は、前のエントリで寄せられたみなさんからのコメントに対するコメントです。
コメント欄は「読めない」という方もおられるので、新しいエントリに書くことにします。 ・・・でも長いなあ、ごめんなさーい。関心ない方は飛ばしてください。
多かったのは、健康情報番組を作る側のモラルに関するご意見。
>予めシナリオを作ってそれに合うデータを探す手法を取っていたようですが、科学は時に思わぬデータが出てきて解釈に苦しむと言うのは誰しも経験する話ではないでしょうか。その時、データ取り直しの時間があればいいのでしょうが、下請けとしては言いにくかったのかと思います。(一つの石さん) 健康情報番組というのは、新聞記者からみると「手をかけてるなあ」と思うものもあります。
一つの石さんが「あるある大事典にもいいところはあって、バッシングだけでは後発のいい科学番組が出てこなくなる」とおっしゃっているのも分かります。
今回の「捏造」は、やっちゃいけないことですから、打ち切りはやむをえないと私は思います。 ただ、こういう構造的な問題が背景にあるということならば、それを変えていかないと、繰り返すことになりますよね。
そもそも、こうした番組を「科学番組」として観ないほうがいいのだという意見もありました。
>今回問題になっている番組は科学番組ではなくショー番組であるという観点からのものです。
問題は、一種の芸能番組にも関わらず、研究者の発言を断片的に利用したり、捏造の数字をはめ込んで科学的なイメージに仕立てていることにあると思います。(spaceglowさん) >少なくとも科学者(研究に携わったことのある人)は、「あるある」の実験はめちゃくちゃ、つまり科学的実験をやっているように見せかけているだけで、全然科学的でないのは既知のことであるはずです。(研究者のはしくれさん)
でも実際に、納豆は売り切れるわけです。受け取る視聴者のリテラシーが足りないのだとしたら、誰がどうすればいいのか、という問題は残ります。
>1.面白おかしく話題を取り上げたいジャーナリスト
2.このチャンスに乗じて販促したい食品業界 3.テレビの云うことを鵜呑みにして、(運動もせずやせるなんて)そんなうまい話があるもんだろうか、と疑問にも思わないで飛びつく視聴者。(doroemonさん) のうち誰が悪いのか?どれか一つに責任があるということではなさそうですね。
>もちろん我々科学者側の努力が充分だとは申しませんが、このエントリーの記述では、あまりに科学者側の取り組みが過小評価されているように感じたので、とりあえずコメントしました。(温泉カワセミさん)
失礼、舌足らずだったかもしれません。研究者としての業績にはならないにもかかわらず使命感から発信している研究者のみなさんの努力には頭が下がります(というより、今回の連載でもお世話になっています)。
その点、マスコミの不誠実を棚に上げて研究者を批判するつもりはありません。
ただ、世の中に「研究者」と呼ばれる人は約80万人といわれています。その母数に比べてみると、発信している人の数が少ないなあと思ったのです。
カワセミさんが指摘されているように、「いくら地道に活動しても、TVや新聞が一発怪しい情報を垂れ流すと、あっという間に押し流される」という現状もあるでしょう。
マスメディアの自戒が欠かせないと思います。
>元村様が、「水伝」→「化学」と思われたのはどのようなことからでしょうか?(tygrysojciecさん)
物理学者、化学者を「科学者(化学者)」と書きました。誤解があったらごめんなさい。水伝をどう受け止めるか、というシンポジウムを開いたのは物理学会。水伝の主張を支持する研究者の発表があったのも物理学会です。その内容に、ある元素が別の元素に変化する、というものが含まれていて、化学界の人たちも動き始めています。そういうわけで、こんな表現になりました。
>ニセ科学を信じてしまう一つのケースとして教授・博士等の「肩書き」があると思います。ご承知のとおり、ニセ科学にはニセ学位がよく付いてきますし、正規の学位を取っている方でも、取得学位・専門研究領域外で、怪説と多くの研究者が考える自説を仰る方もおられるます。2つほど例を挙げます。(tygrysojciecさん)
自分の専門分野から他の分野に研究を広げていくことそのものは悪いことだと思っていませんが、「怪説」論者にはそういう人が多いですか?学者による権威付けで偽科学が広まる、という構図は関心のあるテーマで、今後の連載でも取り上げたいと思っているところです。 January 28 まだある大事典元村です。
きのうの東京、あったかかったんだっけ。(外に出てない)
毎日新聞の朝刊一面(東京版)は「レタスで快眠、でも捏造」。
納豆ダイエットで捏造が発覚した「あるある大事典」関連の続報だ。
レタスジュースを飲ませたマウスがいっこうに眠らなかったのに、番組になってみたら、おとなしくしているマウスの映像に「眠ってしまった!」と字幕がついて流された、というコメンテーター大学教授の主張を載せている。
こういう経験をした科学者が、きちんと声を上げることは大切だと思う。いままでおとなしすぎたのではないか。
「番組を見てあきれてしまい、抗議する気にもなれなかった。社会に真実を伝えるべき研究者として反省している」と、この教授はコメントしている。
想像するに、こうした「なんちゃって科学」番組は、科学者はあまり見てないし、見てもまゆつばだと思っている。
だから、世間の人もそんな風に見ているのだろうという思い込みが、科学者にあるんじゃないだろうか。
世間が踊らされていることを実感していないというか・・・。
「水からの伝言」も、問題を知ってまず動いたのは世間の親たちだった。
科学者(化学者)の中で、この存在すら知らない人がけっこう多い。
私が社会と科学のギャップを感じるのはこういう時である。 November 21 サイエンスアゴラ元村です。
旅から旅であります。
先週末は川崎、京都、滋賀。
勤労感謝の日は北陸へ。
今週末は一都六県管内。
来週末も遠出だし、再来週末は九州。
平日は普段どおり働くので、早くも「洗濯どうしよう?」という気持ちになっている。
体が丈夫なのがせめてもの救い。風邪や体調不良だけには気をつけなければ。
今週末のお台場は、前代未聞(てゆーか初めてってことね)の科学コミュニケーション文化祭「サイエンスアゴラ2006」!
日本中から、科学コミュニケーションに関心がある人、そういう仕事をしているひとが集まってくる。
海外からもゲストがたくさんやってくる。
全体の仕切りは科学技術振興機構(JST)なのだが、それぞれのイベントは、NPOや大学やいろんなグループが主催する。
おもしろそうなものがたくさんある。
ぜひ一度、URLをのぞいてみてくださいな。
行きたいけど行けないのは、今年の春、エジンバラで会ったリチャード・ワイズマン氏のイベント。
「Mind magic」という、手品あり、心理ゲームありのたのしいサイエンスショーである。
25日13時から、日本科学未来館の手前にある国際交流会館で。
うーむ、もう一回見たい!
エジンバラでは、8ポンド(1600円)の入場料を取っていたが、こちらは無料。さすが、ブリティッシュカウンシルは太っ腹である。
ぜひ参加して、騙される快感を味わってみてほしい。
私は26日のトークセッションに出演する。
「SFによる科学コミュニケーション ~日本沈没を題材に」てなイベントで、あの!小松左京さん、毛利衛さんらと「日本沈没というSFは科学コミュニケーションにどう有効か?」という話をするのだ。
ナマ小松左京さんは初体験なので、ほとんどミーハー気分で楽しみにしている。
こちらも申し込み、まだ可能だと思います。
25日17時から、上と同じ国際交流会館。
あと、真面目な企画としては、研究費の問題とか、研究不正の問題とか、科学ジャーナリストとぶっちゃけトークとか、いろいろ予定あり。
ちなみに、アゴラというのは、古代ギリシャで民主主義が生まれた「広場」のことだ。
あの当時、女性はそのアゴラでの議論に参加できなかったのだけれど、21世紀のサイエンスアゴラは女性がいなくては始まらない。 November 18 京都より元村です。
そうだ、京都に行こう。
・・・と決めたわけではないけれど、きょうは京都。
明日、京都大学で開かれる「ゲノムひろば」のシンポジウムに参加するためである。
本当は日帰りでも可能なのだけれど、11月19日、と聞いた瞬間に「こりゃ紅葉の季節じゃんか」と、宿の予約をした。
(春と夏の間ごろだったのに、予約はとっても苦労した)
きょうは午後、川崎の私立高校で記者派遣授業だった。
この女子高では5月にも一度、講演をしている。その時は2年生が対象だったのだけど、「文系、理系を選ぶ前の1年生にも聞かせたいから」と、再度リクエストがあったのだ。
ゲノムひろばのことが頭にあったせいか、あるいはいじめ自殺のことがあったせいか、講堂に集まってきた女子学生たちの顔を見ていたら、文系とか理系とかいう以前に、「くいのない人生を送ってほしい!」という気持ちがふつふつとわいてきた。
だから、話の最初と最後に、こんなメッセージを送った。
「私が世界中で私しかいないように、あなたたちも世界中であなただけしかいないのだから、一度しかない人生、欲張って生きよう」
・・・伝わったかな?
その足で新幹線に飛び乗り、京都へ。
生まれて初めて「京都の湯豆腐」を食べた。
木綿と絹ごしの中間、と説明されたが、しっかりしていて、ふわふわの豆腐。
鍋の真ん中に炭火が入っていて、グラグラ沸騰しないよう温度調節ができている。
昔の人の知恵か。おいしくいただいた。
ご馳走様のあと、これまた駆け足で、南禅寺境内を訪問。夜9時までに入場すれば、紅葉のライトアップが楽しめるという。
京都の紅葉は出足が遅い、と聞いていたけれど、ここの紅葉はきれいだった。
きれいというより、ものすごい(古語です)。
ライトアップするから、余計に妖しさが増すのだろう。
駅に着いた時分から雨模様だったけれど、それもまたいい演出だった。
今年もいい紅葉を見ることができた。
さて、明日はどんなディスカッションになるだろうか。
私はむしろ、専門家の人たちがどんなことに苦労し、悩んでいるか、勉強できるのが楽しみだ。 November 04 岡山、疾患腎移植元村です。ほぼ2日間のごぶさたでした。
岡山へ1泊で出かけてきた。岡山大学での講演に招かれたのだ。
岡山大に縁もゆかりもない、半人前記者を呼んでくださるというのは恐縮。
この3連休は大学祭にあたっていて、その一行事として、大学教育に望むことをしゃべってもらいたい、という趣旨だった。
私自身は教育の専門家でもないし、大学人でもない。
外から大学を眺めていて、気がついたことや感想ぐらいなら言えるけれども、高いところから「こうしなさい」といえる見識は持ち合わせない。
だから、複数の人が自分の立場からしゃべるシンポジウムのような形式の方が、実は気が楽である。
講演というのは、私一人が一方的にしゃべるから、聞く人が本当に聞きたい内容かどうかも分からないのに、押し付けがましい気がして、気兼ねをする。
きょうも脂汗をかきかき、50分ほどしゃべった。さいわい、優しい方々ばかりで、質疑も同じぐらいの時間とってもらった。
質疑の中で、初めて知る岡山大学の取り組みなんかもあって、勉強になった。
午前中の講演だったから、3日に岡山へ移動して前泊した。あいさつ代わりに岡山支局をのぞいたら、祝日なのにあわただしい。
宇和島の病院で起きた「病気で摘出した腎臓を移植手術に使っていた」件、このキーパーソンの医師兄弟が岡山出身の人物ということで、現場は愛媛だけれども、岡山の記者も取材に加わっていた。
この出来事、どう考えたらいいのだろうか。
学会のルールを無視する医者の言い分はいつも「目の前に苦しんでいる患者さんがいて、それを見過ごすわけにはいかない」というものだ。
その気持ちは分かるけれども、手続きをいい加減にしていいということにはならない。
口頭で同意を得たが同意書を作成してないことや、「使えるのに(腎臓を)捨てるのはもったいない」という言い方も気になる。
人工透析のつらさに比べれば「少々悪い」臓器でも移植したほうがQOLは上がるが、その臓器によって、将来自分の健康が脅かされる、という危険も一緒に背負い込むわけで、そういう究極の状況で、患者さんが冷静な判断を(NOということも含めて)できるかというと、なかなか難しいような気がする。 October 24 数学は美しいの元村です。
「博士の愛した数式」(小川洋子、新潮社)の売り上げが200万部を突破し、純文学としては異例のヒットになったそうだ。
私はこの小説、好きである。何度か読み返した。
博士の時計と、主人公の「私」の誕生日が友愛数で結ばれていた、ということを知るシーン、そのたびに胸がきゅんとして泣ける(そうよ私は涙もろい)。
もう一つ、博士が難解な数式をとき終えたときにつぶやく、
「ああ・・・静かだ」
という言葉。これも印象に残っている。
文庫本のあとがきで、数学者の藤原正彦氏が「小川氏は数学と文学を結婚させた」と評していたが、これを読んだ多くの人は、数学(者)に対して、温かい共感というような心境を抱いたのではないかと想像する。たとえ、老博士が、哀しい過去を背負った「悲運の人」でも。
こんなことを考えたのは、きのう都内で開かれた、数学の将来を考える(つまり現状を憂う)シンポジウムに出たからだ。
主催は制御系の学会でつくる「横幹連合」。先日科学技術政策研究所が出した「忘れられた科学-数学」を発端として、「このままじゃいけない」と企画した。
純粋数学、応用数学、工学の専門家がそれぞれの立場から意見を述べ、議論した。その中で、
「大御所の先生ほど、世間に向けて数学は美しい、とおっしゃるが、それは気をつけたほうがいい」
という発言があり、それに対して、
「でもやっぱり、なぜ数学を志すかといえば、工学のように役に立つかどうかではなく、純粋に自分がおもしろいからだ」
という反論が数学者からあり、
「工学だって役に立つから研究するのではなくて、面白いなと思って研究するうちに、役に立てようかという気持ちがわいてくる」
という工学畑の人からの発言があり、
「それでももう少し、純粋数学の人たちは、応用数学の人とまじわるとか、社会に向けて発言するとか、数学振興を求めるなら、それに伴う責任を果たす覚悟がいるのでは」
という政策系の人からの発言があり、それなりに興味深かった。
議論の中で、純粋数学をやっている人は「深海魚」みたいに隔絶された世界にいる、という例えが出てきて、会場から笑いが起きた。
聴衆の大半は数学をやっている専門家ばかりである。温かい共感の笑いなのか、自嘲の笑いなのか。
いずれにしても、ここで議論されているのは、論文やイノベーションを生み出す「研究としての数学」であって、社会でのいわゆる「数学ブーム」や学校教育について考えている人はあまりいなかったように思う。
完全にアウトサイダーの私は、そういう違和感を覚えつつ、やりとりを聞いていた。
でも、「数学は美しい」と魅力を語る数学者がいたら、そういう感性をうらやましいと、個人的には思う。
それだけじゃ、彼らの望む「数学振興」がかなわない、というのも、また現実なのかもしれないが。 October 15 はらはらドキドキシンポジウム元村です。
きょうはつくばでの「理系白書シンポジウム」。秋晴れの休日にもかかわらず、200人の方々が参加してくれた。
盛況のうちに終了し、家に帰ってきた。
理系白書、と名がつくシンポジウムはこれで7回目。ほかにもいろんなシンポジウムに出させていただいたが、きょうのような「笑いが絶えない」シンポジウムっていうのも、珍しいのではないかな。
それもこれも、「先端技術」のイメージとは大きく違って、人間らしさ満載のパネリスト3氏のおかげである。
一般の人たちより研究者に会う機会が多い私たちからみても、「研究って大変だけど楽しいんだ」と素直に感じられる議論だった。
楽しくかき混ぜてくれたのは、パネリストでは最年少の千葉工大・古田貴之さん。11時半集合という連絡が届いておらず、会場着は開催とほぼ同時。
しかも、展示してあるmorphを客席の少年に「預けとくよ」と渡したあとで「みなさーん、これいくらかご存知ですか?3000万円!開発にかけた時間と人件費含めたら1億円ぐらいかな」と軽く披露して、会場を沸かせてくれた。
議論の一こま(敬称略)。
古田「僕は14歳の時に脊椎の病気でもう立てないって言われて、それで車椅子ロボットを作りたいと思ったんですよ。あーあのとき山海先生のHAL(パワーアシストスーツ)があったらな!」
元村「ところで、実は秋葉原通いがリハビリ代わりだったそうですね」
古田「そうなんですよ。ふらふらの足で秋葉原にロボットの部品を買いにいってました。あと15メートル歩けばあの店があるって・・・。結局、最後は人を動かす力が大事で、ロボットはその手伝いをする存在だと思います」
柴田「パロ(アザラシロボット)も、かわいいから会いたい、抱き寄せたい、なでたい、と思う気持ちが、寝たきりのお年寄りを起き上がらせたり、車椅子を自ら動かしたり、手を伸ばして言葉をかける原動力になるんですよね」
古田「結局は愛!愛ですよ。ね、山海先生♪」
山海「あ・・・(赤面)愛、ですか。愛なんてこんな大勢のみなさんの目の前で語ったことはないのですけれど、でも確かに、立ち上がりたい、歩きたい、自分の足で踏みしめたい、という気持ちに応えたいと思うから、私は仕事を引き受けてしまうんですね(涙目)」
楽しいながらも、3氏のロボットへの情熱が垣間見えるやりとりだった。
近日中に、詳報を紹介するので、ぜひ読んでいただきたいと思う。将来ロボットやろうかな・・・と思っている若い人にもぜひ。
シンポジウムは30分延長して終了したが、興奮冷めやらず、控え室でさらに40分ほど盛り上がり、解散となった。
3氏が顔を合わせるのは初めてだそう。出演者にも楽しんでもらえれば、これほどうれしいことはない。
「理系白書ブログ居酒屋」の常連さんたちも駆けつけてくれた。
北海道からはるばる飛んできてくれたbloomさん、会えて感激でした!
地元の温泉カワセミさんも、ありがとうございます!実はステージ上からなぜかあなたが気になってました。テレパシーですかね?
さっそくコメント書き込んでくれた質問の彼女さんもありがとう!
で、「つくば駅前移動支局」(特設の臨時支局)は22日まで。つくばの方々、駅前クレオに、お買物ついでに遊びにいらっしゃいませ。
毎日新聞の「のぼり」が目印です。 May 30 科学をもっと身近にまず、さくらさんのコメントに。
「ジョグジャカルタの被災者のことは、もう過去の話題になってしまうのですね。それがマスコミというものなのでしょうか。何もできないなら、触れない方がよかったのではないですか。
ジャーナリストの皆様にも、もう少し社会貢献に対する意識をもってほしいと感じます。
ただのニュースでおわらせてほしくない。苦しんでいる人々がいるのですから。」
日曜日のエントリでジャワ島中部の地震について書いた翌日(すなわち昨日)、別の話題を書いたので、こういうコメントをいただいたのだと思います。
ここで確認しておきたいことは、「私はブログと本紙で書くことを分けている」、そして「書いてないことは忘れたこととイコールではない」ということです。
ここでも何度か話題になったことですが、「新聞記者」としての仕事は新聞で見ていただきたいと考えています。
ブログでは、
・新聞記事にできない(ならない)記者としての感想
・記者の個人的な日常や所感
を中心に書いています。例えば、新聞のために取材したことは、その日のエントリには書き込んでいません。
なので、ブログ上では「関心事が移った」と見えるかもしれませんが、記者としての関心は持ち続けています。
わがままかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。
ところで・・・
きょうは会社のOBが集まる会合に顔を出した。新聞記者から大学教授など、教職に転じた先輩たちが中心の集まりである。以前から「少し話をしてほしい」と頼まれていたのだが、科学ジャーナリスト大賞と重なったため、受賞のPRもかねたあいさつになった。
ずっと見回したら、男性ばっかり!
びっくりするぐらい、男性ばかりである。
OBに女性がいないわけではないが、こういう場所に出入りしていないのかもしれない。
それに刺激されて、女性記者も頑張っている、という話を10分ほどさせてもらった。
科学環境部の場合、総勢16人のうち、女性は6人いる。
これは、割合としてはかなり高い。
たとえば新聞協会加盟の新聞社における女性記者の比率は11・9%。
不思議なことに、日本の研究者における女性の比率も同じだ。
それにくらべれば、科学セクションは、むしろ女性が「活躍できる」といえる。
科学を伝える仕事に、性別は関係ないと思う。
大切なのは(どの分野でも同じだけど)取材相手にどこまで惚れるかということと、一方で、対象といつも一定の距離感を保っていること、だと思っている。
「理系白書」プロジェクトでいろんな活動をしている、という話の中で、TBSの「エネルギッシュトーク」にも出演させていただいた、という話も紹介したが、その場にパーソナリティの嶌信彦さんが見えていてびっくりした。
パーティではおもしろい話をいろいろ聞いたが、中でも、ワシントン特派員だったという人が最近読んだ本。
「The history of almost everything」
科学上の発見のエピソードなどがつづってあるそうだ。日本語訳はまだないそうだが、タイトルがおもしろくて興味を持った。
どなたか読まれましたか? May 27 続・科学ジャーナリスト大賞昨夜はブログを書き込んだあと、会社の裏の屋台で地味に祝杯を挙げた。
今朝の朝刊を開いたら、受賞の記事が載っていた。
自分の書いた記事が載るのも、記事の最後に署名があるのも慣れっこになっているが、記事の見出しに自分の名前があると、なんだか悪さをしたみたいでドキッとする。
毎日新聞の他本社版や他紙を読んだ人から、次々に電話をもらった。
私を東京本社に送り出してくれた、かつての上司。
高校時代の国語の先生。
子供のころ、近所に住んでいたおばちゃん。
メールもたくさんいただいた。
新聞のニュースって読まれているんだなあ(ひとごとみたい)。
ブログにもたくさんのコメントをありがとうございます。
いただいた花束を生けて出社。
会社に来る途中、こういう運に恵まれることもあまりないと思って宝くじを10枚買った。
一般的に、受賞で運を使い果たしているので、買っても当たらないと思うのが自然だと思うが、まあ自分へのご祝儀である。
(ちなみに、この賞に賞金はありません)
さて、きょうはもう一つの節目があった。
04年秋から始めた英語学校の最後のレッスンである。
1年半で、約100レッスン。よく続いたものだ。
多分、契約は更新しないので、あとは日常のトレーニングで、せっかく身につけたスキルがさびつかないようにしなければならない。
さいわい外国人の友人も増えたし、少なくとも英語を使う場面で「もじもじ君」になることはなさそうだ。
私の目下の課題はボキャブラリーを増やすことと、前置詞を正しく使うことだ。
出社したら、ジャワ島で地震。M6・2と、規模はそれほど大きくないが、犠牲者はすぐに1000人を超えた。震源が沿岸で近かったことと、古い建物が倒壊して被害を広げているらしい。 May 26 科学ジャーナリスト大賞みなさん。
本日、わたくし、「第一回科学ジャーナリスト大賞」を受賞しました。
受賞理由は「ブログを含む『理系白書』の報道」。
つまり、このブログも受賞理由に入っているということです。
いや、なんと言ったらいいのか・・・。
まずは読者の皆さんにありがとう。
そして、実は大きな意味があるかもしれない決断をしてくださった選考委員のみなさんに、心からお礼を申し上げます。
科学ジャーナリスト大賞は、この1年間、科学技術分野でもっとも光ったジャーナリスト活動に対して贈られる賞として、今年新設されました。
その1回目に、この「理系白書とブログ」報道が、大賞に選ばれたというわけです。
理系白書は2002年から始まった連載で、とりたてて新しいものではありません。
これまで、多くの反響をいただきながら、こうした賞はいただいたことがありませんでした。
それがいま、再び注目されたということは、たぶんこの「ブログというメディア」の役割が小さくないと思います。
ここを毎日訪れてくださる5000人の方々と、管理人の私との共同作業(科学コミュニケーション)が、こうした形で「科学ジャーナリズム」の世界で評価されたとすれば、うれしいではないですか!
パチパチパチ。
私が、こんな晴れがましい賞をいただいたというのも、どこか恐縮なのですが、いまは素直に受け止めたいと思います。
いまは思いがいっぱいで。
叱咤激励と受け止めて、これからもっともっと、楽しく意味のある仕事をしていくつもりです。
もちろん、「理系白書」取材班全員が同じ気持ちであります。
これからも、どうぞよろしく。 May 24 サイエンスカフェ皆さんご心配かけました。元気です。
きのう、ちょっと気弱になったのは、健康診断を受けたことと関係があるかもしれない。
問診表に39歳、と書いて会場に行ったところ、
「あれ?元村さんは、今年40才ですから」
といわれて、あっさり訂正された。
で、他の人より多い項目の健康診断を受けることになったのだ。
具体的には、聴力検査と心電図、採血が義務だった。
胸に吸盤をつけて天井を眺めながら、40才の実感がひたひたとわいてきた。
つい2週間ほど前には、区役所から「検診のお知らせ」というのが来て、「ああそうか、40才だからだ」と実感したところだった。
さて、きょうはブリティッシュカウンシルで開かれた、サイエンスカフェについての催しに出かけた。
英国でサイエンスカフェを仕掛けているアン・グランドさんという女性の話を聞いてきた。
サイエンスカフェとは、くつろいだ雰囲気で、科学や技術の話題を専門家から聞き、自由に質問したり、意見を言ったり、参加者同士で議論したりできる場のことである。「くつろいだ雰囲気」を大切にするので、実際にカフェやパブで、飲み物や軽食を片手に開かれることが多い。
ちなみにきょうの催しも、開催前と途中の休憩には軽食とアルコールが出て、参加者同士の会話が弾んだ。
日本でも最近かなりメジャーになってきたが、全国津々浦々という感じではない。拠点になりつつあるのは、北から札幌、仙台、東京、京都、ぐらいだろうか。 アンさんによると、英国では「サイエンスカフェはもはやニュースではない」そうだ。つまり各地で根付いて、継続的に開かれている。推定で年間5万人ぐらい参加しているそうだから、日本とはおそらく2ケタ違う(多分)。
彼女の話はとても刺激的で、ここでいま詳細に書くと、未消化なまま固まってしまいそうだからもう少し熟成させたいと思う。以下はポイント。
・「こうやれば成功する」とか「こうしなければならない」という型にこだわらない方が、結果的にはうまくいくかもしれない。
・話題は参加者が決める。参加者が望むものは話題になる。それが、議論が対立するものであってもいい。
・ファシリテーター(話題提供者と聴衆のつなぎ役)の役割がとても大切。
・聴衆が主役、これが大原則。
ついでに、日本のサイエンスカフェが、公的な機関や学会や大学を中心に試みられているのに対して、英国では市民サイドから草の根的に始まるケースが圧倒的だという。
この違いは「日本らしい」ということもできるし、ひょっとしたら、いま「はやり」の科学コミュニケーションが、残念ながらいまだに「送り手発想」から抜け出せていないってことなのかもしれない。
昔ながらの「大衆に教えを授ける」発想が、スタイルを変えただけで生き残っていく、なんてことにならないようにお願いしたい。 April 21 理系白書シンポ終了理系白書シンポジウム@早稲田大学、無事終了!
なななんと450人余り参加!
へとへとだが、楽しい1日だった。みんなありがとう。
今回はテーマが「科学技術を伝える」という具体的なものだったため、そうしたしごとに関心のある人たちが集まってくれた。
名刺交換した人だけを見ても・・・本当にいろいろだ。
ついでにどのあたりの関心で来ていたかも書いてみよう。多様な視点だけど、関心は高いことが分かる。(名刺交換していない、大勢の人の関心は分からない)
・企業の広報担当者=効果的な広報とは。成果発表の際、いい成果は「心持ち」オーバーに伝えたくなってしまうが、それを科学ジャーナリズムがどう見抜くか
・NPO=幅広い層の市民を対象に活動しているので、どのレベルに合わせて活動したらよいか
・独立行政法人=研究者のパフォーマンスをどう評価するか(報道への露出をどう考慮するか)
・同じく独立行政法人=賛否の分かれる問題についてポータルサイトを作りたいが、どう運営したらいいか
・出版社=難しい科学や技術をどう伝えるか
・文系学生=ジャーナリストに興味がある
・理系学生=科学技術ジャーナリストに興味がある
・大使館、外国の教育機関=日本の科学技術報道がどういう仕組みになっているか知りたい
・シンクタンク=科学技術を社会がどう受け止めているか
・大学人=早稲田の科学技術ジャーナリスト養成講座はうまくいってるかな
前半は養老孟司さんの講演。博覧強記、そして本当に話がうまい。時々難しい理屈をいって、聴衆を煙に巻いたり、笑わせたりして巧みである。
そこでごっそり帰られると切ないなあと思っていたら7~8割が残ってくれてうれしかった。
学研の湯本博文さん(「大人の科学」編集長)は、自ら開発したエジソン型コップ蓄音機で録音~再生を実演してみせてくれた。
議論は後日、紙面で。
ただ感じたのは、日本に科学技術ジャーナリズムの機能不全があるとすれば、それは複雑な要因によるものだということだ。
これも、週末にまとめて書こうと思う。
終了後の懇親会では、養成講座の一期生とにぎやかにお話した。
シンポの会場でも、懇親会の会場でも、このブログや発信箱を読んでくれている人がものすごく多くてうれしかった。
「もっと怖い人かと思ってました」と複数の人から言われた。・・・どんな怖さだ?
そういえば、「1カ月半前の納豆を食べたなんて書くから怖がられる」との忠告もあった。 |
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