元村有希子・田中泰義's profile理系白書ブログBlogLists Tools Help

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    January 14

    アートと科学技術

    元村です。関東は晴れているけど風が強い。
     
    きのうは早起きして、箱根の手前(というほど遠くないか)まで出かけた。
    私立大学の理系学生さんたちに1コマの講義を頼まれたからだ。
    土曜日に授業?とちょっと驚いたけれど、午前中にもかかわらず80人近くが出席して、教室が満杯だった。
    私が話せることというのは限られているから、科学技術と社会のかかわりについて話した。
     
    私を呼んでくれた牧野先生は理論物理の研究者だが、探検家というもう一つの顔を持つ。
    余暇を使って、日本中の洞窟を探検しては、新しい鍾乳洞を見つけたりしている。
    これまでで一番大きな発見は、日本で二番目に長い洞窟を見つけたことだそうだ。これはもはや趣味ではない。
    ちゃんと、測量器材を持ち込んで、長さを測って論文も書いているそうだ。
     
    測量とともに、洞窟に持っていくのはカメラ。
    彼は、幻想的な、これまで誰も(たぶん)見たことのない地底の造形を記録している。
    当然だけど洞窟内は真っ暗なので、ライトを4つぐらい持ち込み、仲間に持たせ、いい写真を撮っている。
    これこそ科学とアートの邂逅。
    パソコンで見せてもらったが、写真集にしてもいいできばえ。
    どなたか興味ありませんか?
     
    夜は東京ドームへ。
    「太陽の船」という、山本寛斎プロデュースのイベントを見に行った。
    松岡昌宏、上戸彩、アントニオ猪木、テリー伊藤という有名どころが出演するけれど、彼らはいわば舞台回しで、全体としては、大掛かりなセットと音と光のショーであった。
    なんでこれに出かけたかというと、河口洋一郎さんという、CGの第一人者が演出に協力していたからだ。
    彼が東大に持っている研究室のスタッフももちろん協力している。
    テクノロジーとアートの融合。
    ショーでは寛斎らしいサイケなCGが効果的に使われていた。
     
    豪華でにぎやかで、お祭りみたいで見ていて元気になった。
    中盤、特別ゲストの長渕剛が登場したとたん、これまで静かだった観客の3割ぐらいが、
    つーよーしーいいいいい!
    と叫んでエキサイトしだし、ははあなるほど、チケット購入者はこれが目当てだったの?と目からウロコが落ちた。
    マッチョな剛は、5分ぐらいのテーマソングを50分ぐらい歌い続けて、ドームを大いに盛り上げていた。
    (記述が冷静なのは、その盛り上がりを唖然として眺めていたからです)
     
    途中までついていけない感じだったが、彼がサングラスをはずしたら、昔のままの正直そうな顔で、親近感がわいた。
    同行の人たちと水道橋のサラリーマン居酒屋で味噌キムチ鍋&焼酎お湯割りの夕食を済ませて帰宅。
    October 18

    文と理は歩み寄れるか

    元村です。
     
    今朝の朝刊(あるいは夕刊)科学面に、先月の出張の成果を書いた。
    スイスで開かれた「World Knowledge Dialogue(WKD、世界知識対話)」という国際会議についてのレポートである。
     
    主催はスイス政府などが出資するWKD財団。私は詳しくないのだけれど、こうした各国に共通する課題について、スイスはいち早くこうした組織を立ち上げ、流れを作るのがお得意だという。(こういうのを「スイスモデル」というそうだ)
     
    会議はシーズンオフのスキーリゾートで3日間開かれた。通りは閑散としていたが、会場だけは熱気ムンムンだった。
    こういう会議は、公式行事より休憩とかパーティがおもしろい。私もずいぶんいろんな人と話をした。
    ・文理融合カリキュラムの評価指針作りをしている教育学者
    ・工学博士と医学博士を持っていて、ライフサイエンス系の特許事務所を開業した経営者
    ・生物学で学位をとって、次は政治学を勉強している大学院生
    ・臨床と研究をやりながら、医学部の改革を手がけている医師
    などなど、世界にはいろんな人がいるなあという感じである。
     
    会議の目的は「自然科学と人文・社会科学が手を携えて、地球規模の問題に対応しましょう」というものだった。
    だが、私の印象では、参加者の大半は自然科学系からの参加者で、人文・社会系からの参加が少ないように思った。
    リードしたのが、理工系の人たちだったせいもあるかもしれない。
     
    高等教育でなぜ、分と理の協働が進まないか、という議論が興味深かった。
    「教師が忙しくて対応できない」
    「ダブルメジャーを指導教授が許してくれない」
    「学生は工学倫理を学ばないままエンジニアになっている」
    「学部同士の連携が難しい」
    みんな、それを何とかしたいと思いながら、改革できないんだそうだ。どこの国も事情は似ている?
     
    文と理は歩み寄れるか。同じ課題を共有すれば、自然と歩調が似てくるように思うが、楽観的過ぎるだろうか。
    March 13

    キャリアパス論議

    週末は休んだ。休んだら風邪を引いた。
    こういう人って多いと思うなあ。あくせく働いている方が病気をしないという・・・。
     
    ところで、
    二つ前のエントリーで、研究者のキャリアパスのことが熱く議論されている。
    これは「理系白書」の主要テーマでもあるし、当事者たちからの意見は興味深い。
    で、私の考えを少し。
     
    博士号取得者のキャリアパスでは、少なくとも四つの「不足」があると思っている。
     
    1.アカデミックポストの不足。
    2.情報不足=企業の博士求人枠は、表の市場では取引されないことが多く、就職したくても情報が足りない。大学や研究機関の場合、欠員を内部充足して公募しない場合も。
    3.理解不足=企業は博士を敬遠する。博士には大手、有名志向がある。あるいは「自分の専門を生かせるところ」を目指す。
    4.研究不足=博士自身が「自分は何者なのか、どういう仕事に向いていて、どういう人生を送りたいと思うか。外からどう見えているか」について、在学中から分析したり考察する機会が少ない。
     
    「情報も集めているし自己分析もしてるし、えり好みなんかしてないけど、でも職がないの!」という人は大勢いるだろう。むしろ、社会の受け皿が未熟なまま、人材の頭数だけが増えてしまったところに根本的な原因がある。
    海外に出たがらない若手研究者が増えている、というのもうなずける。
     
    現状を変えるには、やっぱりお互いがもっと柔軟になることだと思う。
    採用する側は「博士=使いにくい」、という固定概念を取り払ってみる。博士はアカデミックポストにこだわらず、違う進路を考えてみる。
    そういえば、クロアチアの文部科学担当大臣は、DNAの研究者だそうだ。台湾の科学技術担当大臣も、米国帰りの物理学者だという。
    日本ではまず考えられないのだけれど、これは誰のフレキシビリティのたまものだろう?
     
    10日締め切りの依頼原稿が未完成。今晩締め切りの「発信箱」が未着手。
    尻に火がついている。
    June 07

    等身大の科学

    寝不足。仕事がちょっと立て込んできた。日焼けするなあと思いつつ、すっぴんで出勤。正直いって、洗い立ての顔にファンデーションを塗るのは好きではないのだ。

    前回の「ほん」へのコメント、とても興味深いので私も少し。

    科学の成果や影響力を使って、「・・・が危ない」と警告するのは、科学の一つの役割ではある。

    ただそれが、発信者の意図や媒介者の不注意で、実体以上のインパクトで受け止められることもある。

    すぐに思い浮かぶ代表例が、環境ホルモンやダイオキシンの問題だ。それ自体が完全に解明されているとはいえない段階で、「こわいこわい」報道が続く。それによって、風評被害をこうむる人が出てくるといった具合だ。

    「気をつけてくださいね」という一方で、「こことここはまだ現在の科学では分かりません」という情報も併せて伝えることが誠実なやり方だろうと思う。

    振り返ると、高校までの理科の授業って、教科書を中心にやったこともあるが、「分かったこと」だけを教わった。「分からないことがたくさんある」ということは、ほとんど教えられなかった。

    最近の、意欲的な理科の先生たちは(大学も含めて)、科学の夢や成果と、限界とを一緒に教えている。つまり「等身大の科学」だ。

    過剰な期待や信頼も、過剰な不信も、自分がきちんと理解できていれば心配ないのだが、十分理解する時間と動機付けが足りない昨今は、どう情報提供するかが結構重要なのではないだろうか。

    May 26

    理系の社会力

    引き続き、議論がボーボーと燃え上がっていて、エキサイティングである。感謝。

    議論を見ていると、ぐるっと回ってやっぱり原点に立ち返るのだなあと思った。

    「理系は報われているか」

    そして新しい問題。

    「理系人の社会リテラシーは十分か」

    文系が科学の素養を身に着けると同時に、理系が経済学の素養を身に着ける、というのなら、結局はこういう問題意識になる。

    「文系、理系と分けることがナンセンスではないか。どうやったらなくせるか」

    やっぱり「朝まで生テレビ」しかないかあ・・・。でも朝までやってもきっと答えは出ないこと必定。

    だから私たちが書き続けているのだけれど。

    文系の科学力

    いろいろ意見が出ていて、とても興味深い。感謝。

    どのひとの問いかけも、私たちがこの3年間、「理系白書」という看板を掲げて、「理系」の問題を書くなかで、何度となく、自問自答してきたことにつながっている。

    だから、一つ一つの問いに答えがでていません。すみません。

    と、とりあえず伏してお詫びしておいて、答えが見つからないからこそ、問い続けたいと私は思う。

    私は専門家ではないけれど、この議論って、そのまま「科学技術論」とか「科学哲学」というやつではないのか。

    私たちが自問していることをいくつかあげると、

    ・科学を知らなくちゃいけない、というのはなんでか。知らなくても便利に暮らせればいいのではないか。動機付けを持たず、科学技術の恩恵で「もうおなかいっぱい」という人に、さらに教えなくてはいけないことってなにか。

    ・文系の理系音痴を言うのと同じく、理系の「専門馬鹿」(他の専門分野に疎い、無関心)は問題ではないか。

    ・理系、理系といい続けることが、すでに時代遅れではないか。

    ・文系、理系にこだわっているのはばかばかしいと思っていても、大学をはじめとする日本社会が、文系理系に分けたがっているのに、どうやったら変革できるのか。

    というようなことだ。

    全然答えが出ないから、右往左往しながら書き続けている。

    ここから少し、立脚点をかえて・・・

    私立ではないけど国立文系出身の私の個人的な実感を言うと、

    ・科学や技術は、知らないより知ってるほうが楽しい。全員が科学的な職業につく必要はないけれど、知ることは、トリビアな楽しさにつながる。

    ・楽しいだけじゃなくて、得したり、知らないと損をしていることが見えてくる。

    ・少し知ると、分かる楽しさで先に進みたくなる。その「少し知る」段階で、誰かのガイダンスがあると、とっつきやすい。

    ・少し練習をしないと、いきなりゴルフコースに出てもつまらない(たぶん)のと同様に、科学も最初のステップは少々我慢が必要だ。

    ・文系でも科学は楽しめる。楽しめるし、知れば誰かに「ねえねえ」と教えたくなる。一つ分かると、それを応用することで、もっと楽しめる。

    ・やっぱり根本は好奇心と野次馬根性、そして少しの忍耐力と考える力。

    どうでしょう?

     

    May 25

    私立文系原罪論

    なんかここんとこ、書き込みが滞りがち。

    きのうは午前中、大量メールを処理し、午後は出ずっぱり。丸の内→丸の内→霞ヶ関→銀座→西麻布。何時ごろ帰ってどうしたのかあんまり覚えていない。こういう無茶な飲み方はそろそろやめよう。

    きょうの朝刊(東京版)に理系白書の6回目が載った。私立文系の大学生・短大生の科学力が心配、という話題。古くて新しいテーマである。

    世間の人々の科学リテラシー欠如の根っこは私立文系出身者の理科離れにある、という人もいる。(私はそれだけが原因とは思っていない)

    大学受験というのは、ある意味、いやでも勉強する動機付けになる。私立大学は(一部の国立大学も)受験科目を絞るので、勉強はどうしても受験科目に偏る。

    心配なのは、それでもって「理科はもうおさらば」になっちゃうことだ。興味ないしー、知らなくてもいいしー、というのではもったいないと私は思う。だから文系を選択した生徒にも、高校3年生まで理科を教え続けた方がいい。

    とはいえ、大学に入って自然科学の授業をとっても、先生の言ってることが理解不能なので、ますます科学と縁遠くなる。これは大学教育に改善の余地あり。

    どうしたらいいかを高校と大学が一緒に考え始めたのはいいことだが、改革するならやっぱり受験制度かなという気はしている。

    April 13

    理系志向

    帰国したとたん、業務が山のように押し寄せてきた。

    4月から、兵隊(記者のことです)のお世話役になったことは少し書いた。電話応対、朝昼に届く郵便物の振り分け、取材日程の割り振りなどの、いわゆる雑用を請け負っている。これがなかなかどうして。

    個人的な業務では、理系白書の準備に加えて、1ヵ月後に控えたシャトル取材の準備(出稿計画、宿、あし、取材申請などの手配)も急がなければならない。むむむむ。

    理系白書取材班の顔ぶれが、4月から変わった。もうじき「ウェブ理系白書」の自己紹介欄にも登場するが、佐藤岳幸記者が加わった。彼いわく「文系だけど、理系に行きたくて、でもダメで・・」。

    あらためて見直してみると、取材班で純粋理系出身は西川記者一人(東北大学理学部修士)である。ボスの瀬川記者は科学哲学、永山記者は法学、私は心理学を専攻した。

    科学記者にとって「理系学問を専攻した」という経歴は、十分条件ではあるが、必要条件ではないと思う。大切なのは、「理系的センス」と「好奇心」だろうか。

    永山は、理数科目は苦手ながら、天文や古生物に興味があった。佐藤記者も同様。私も振り返れば、理系に苦手意識があって「文転」したものの、いまは嬉々として科学の世界を取材している。

    理系白書が今年のキャッチフレーズに掲げた「文理の壁を壊そう」は、そんな実体験に根ざしている。たとえば先端研究に文系の人が携われるかといえば、それは難しいが、永遠に分かり合えないとあきらめるのは早い。コミュニケーションやコラボレーションは可能だし必要だと思っている。それを始めよう、というのが、理系白書の今年の主張だ。

    予定では、20日付け朝刊から第二部「文理別教育を問う」スタート。目下、取材班は準備に大忙しです。

    郵便局に水道料金を払いに行ったついでに、切手を買ってきた。私は切手収集が趣味で、科学・技術関連を集中的に集めている。

    シリーズで出ている「科学技術とアニメーション」をゲット。ガッチャマン(科学捜査隊、だっけ)、新幹線、国際宇宙ステーション。それから愛知万博のマンモス切手。

    切手やお札に科学者、科学ネタが出てこない!と憤慨してコラムに書いたことがある。それとは何の関係もないだろうが、野口英世にシリーズ切手とは、うれしい限りである。

    March 25

    お知らせいろいろ

    きょうはお知らせがいろいろとある。

    けさ朝刊に、わが理系白書取材班の西川拓記者が「理系人の文系就職」について記者の目を書いている。

    非読者の方々に少し説明すると、「記者の目」は、記者が主観をたっぷりと盛り込んで、顔写真付きで書く論説。毎日新聞の看板コーナーである。1月~3月の理系白書第一部「文系就職組の15年」の取材を通して感じたことを、彼なりの視点で書いている。

    西川記者は、大学で地球物理を専攻し、衛星に搭載する部品を研究していた理系人だ。この新聞社という文系社会に飛び込んだ彼としては、いろいろと考えるところがあったようだ。ぜひご一読を。

    愛知万博の開幕と合わせて、毎日新聞中部本社のウェブサイトに、ブログ「上昇気流なごや」がオープンした。中部本社の報道センター室長、磯野記者が、注目の中部地方の話題を経済の視点からするどく?見つめる。実物よりも、写真も文章も、少しばかりかっこよく見える(失礼!)。応援してください。

    きょう発行のサイエンスに掲載された「二本足で歩くタコ」。スタコラサッサと歩く姿がめちゃくちゃかわいい。理屈はいらない。これを撮影したのは、UCバークリーの大学院生だった。海とタコが大好きで、いつも潜ってウォッチングしているらしいから、大金星だ。

    毎日インタラクティブでは動画が見られるよう、工夫してもらった。試しに見ようと思ったら、サーバーが大混雑だったので、後ほどゆっくりお楽しみ下さい。

    February 11

    おやすみ

    きょうは飲みました。

    文系も理系もないっていうのは道理ですが、「そうでもないのよ」という人はいませんか?

    こういうことを言ってる私が時代遅れですか?

    私は誰の気持ちも、救えていないですか?

     

    February 10

    文系就職

    雑用、執筆、ETCがアメアラレと降って来て、心身ともに余裕なし。私にとっては、3連休も「仕事が滞る!」といいたくなる存在だ。

    これは個人や企業の問題というよりも、「記者」という仕事と時代が合わなくなってきているのかもしれない。スローライフとか時短とかいいながら、本人たちが一番実践できていない。

    「理系白書」の4回目のゲラも点検終了。金融業界で生きている理系出身者を紹介したものだ。

    大学の理工系学部を出て、金融やサービス業に就職した「文系就職」の人たちに会っていて感じるのは、「理系を消したい」という気持ちと「理系を主張したい」という気持ちが、本人の中で相克していることだ。

    文系が大半の世界に飛び込めば、「郷に入っては郷に従え」のことわざどおり、そこになじむことが求められる(というか、そうしようとする)。しかし、やっぱり、文系と理系はちょっと違う。大学で過ごした時間も違うし、ものの考え方も違うだろう。そこで立ち止まる。「このまま自分を殺していいのだろうか?」

    とはいえ、理系らしさを出すと「やっぱり理系は・・・」とか言われてしまう。理系職場に配属されるか、偉くなって「理系リーダー」ぶりを発揮できるようになるまでは、なんだか居心地が悪い、という心境になる人もいると思う。

    これも「理系をステロタイプで見るな」と文句を言われそうだが、たくさんの人たちに会って、彼らは口にしないけれど私が感じた実感だ。

    ところでこの連載は、同じ境遇?の人たちから、静かに静かに読まれているようだ。個人的には「熱く静かに共感しています」という反響をよくもらう。「僕を取材しませんか?」なんて売り込みもあったりして。

    犯人探しではなく、いい悪いでもなく、彼らの15年間を通して、バブルという不思議な時代の「遺産」をあぶりだしたいと思う。

    これまで、気になりながらほとんど扱われなかったテーマだから、やりがいも感じている。これまでの理系白書とは一味違った味付けだけれど、私たちなりのメッセージをこめているつもりだ。

     

    January 22

    ステレオタイプ

    おもしろいなあ・・・コメントがめちゃくちゃおもしろい!

    私も最近は、ほとんど「一読者」と化している。

    ウェブログを新聞やテレビで特集することが増えてきて、「お、やってるやってる」と思ってみるけど、こればかりは、自分でやるのが一番おもしろい。

    何の気なしに書いた「理系人のドラマ」に、こんな興味深いコメントが来るというのも、びっくり箱みたいで・・・。

    きょうはステレオタイプの話。

    私が新聞記者だと知った初対面の人の10人中6人ぐらいは「へえ、こんな感じの記者さんもいるんですね」という。多くの人たちの新聞記者のイメージは、次のようなものだ。(そしてけっこうあたっている)

    ・目つきが悪い

    ・口が悪い

    ・3日続けて着てるような、しわしわの服を着ている

    ・かばんがやたら重い

    ・胸ポケットにペンを指していて、たいていインクが尻もれしてポケットの底が青くなっている

    わはは。で、ドラマ(地方記者なんとか、とかいうサスペンスもの)での新聞記者は、たいてい記者クラブのソファで寝ていて、ヘビースモーカーで、なんかネタをつかんだら、窓際でふんぞり返ってる上司に「デスク!特ダネです!一面トップです!」と報告することになっている。わははは。そんなことはほとんどない。

    科学者のステレオタイプっていうのは、やはり日本ではお茶の水博士(鉄腕アトム)、外国ではアインシュタインか、「バックトゥザフューチャー」のドク、である。アメリカ人に聞いても、思い浮かべるのは白衣、蓬髪、試験管、というオーセンティックなイメージのようだ。

    東京工大特任教授の西村吉雄さんが言っていた。「なぜか日本の科学者のイメージは、お茶の水博士の姿で、でもって口を開くと『暮らしは科学技術で支えられとるんじゃ』とかしゃべる。この『・・・じゃ』という言葉遣いはなんなんでしょうか」。思わず笑ったけど、確かにねえ。

    ヒロフミ1623さんが指摘していた、科学者のイメージの国際比較。1年前に紙面で紹介したjことがある。愛媛大学教育学部の隅田学さん(理科教育学)のグループが、アジア5カ国の子供1576人に「科学者が研究している風景」を描かせた。日本は9割が男性、白衣、禿頭または蓬髪、小道具は試験管、分野は化学。「暗くて汚い実験室で、さえない中年男性が夜中まで研究している」風景だった。韓国は半分が若い女性を描いた。フィリピンは、小道具にパソコンがめだったそうである。

    きょうは東京理科大の数学教育研究所開設記念シンポジウムに参加した。20分の講演をさせてもらったが、その後の秋山仁さんの講演の前座のようなものである(前座を務められただけでも光栄)。秋山さんも長髪だが、異形の科学者であるね。とてもおもしろかった。

     

    January 21

    理系人のドラマ

    やれやれ。やっと一段落。

    あす朝刊(近畿、中部、九州は来週の夕刊)から始まる「理系白書’05」の最終ゲラをさっき確認した。第一部のテーマは「文系就職組の15年」。バブルのころ、自分の可能性を求めて理工系学部から金融などの文系企業に就職していった人たちのドラマである。

    取材班4人で、50人近い人にあっただろうか(なお進行中)。話を聞いていると、誰にもドラマがあるなあと思う。そして、ちょっとせつなくてほろ苦くて、時々破天荒で、とてもおもしろい。

    個々のドラマをどうつむいで、社会への提言としていくかは、私たちの仕事である。

    忙しくて見そびれたのだけど、フジテレビで理系人が主人公のドラマが始まった。

    「不機嫌なジーン」。聞いたときは林眞理子の「不機嫌な果実」を連想したが、さにあらず。竹内久美子氏を連想させる動物行動学者が主人公である。

    と思ったら、ピンときたSiさんが書き込んでくれていた。

    フジテレビ系列の月9ドラマ「不機嫌なジーン」は動物行動学者さんたちのラブストーリーだそうで。 以下、公式サイトhttp://www.fujitv.co.jp/gene/index2.htmlより

    何せ衣装代が安くつく。フカキョンの「富豪刑事」とは大違い。こっちは白衣だからね。

    理系人をもっとドラマに担ぎだして、メジャーにしたいと思うのは私だけか?そういうケーハクなのはイヤだ、という人が多いのかなあ。

    思い返せば、「ふぞろいの林檎たち」の男子諸君も、たしか某私立大学(というか二流大学という設定)の工学部卒じゃなかったか。記憶が定かではないけれど。あれに出てくるセックスレスカップルの彼、国広富之は、東大卒の理系インテリだったと思うけど、いつもコンピューターにかじりついていて、やたら暗く振る舞っていた。

    最先端の研究者だと冬彦さんみたいに描かれるし、なんかバランスのよい(ふつうの)描き方はないのだろうか。

    January 12

    新次官就任

    大切なお知らせ。

    11日、文部科学省の事務次官が交替した。

    御手洗康氏に代わって、結城章夫・文部科学審議官が着任。科技庁出身者としては、初の文部科学事務次官である。

    就任会見を、野次馬として聴きに行った。以下は就任の弁。

    「力を入れる課題はたくさんある。文教分野では教育基本法改正と義務教育国庫負担金を含む改革。科学技術分野では2月のH2Aロケット打ち上げ、ITERの立地交渉を早くまとめること、そして来年度からスタートする第三期科学技術基本計画の中身をどうするかです」

    理系出身であることにも触れた。

    「霞が関では非常に珍しい工学部出身、技術系出身として、ムダのない、効率的でスピーディな仕事を訴えていきたい。合理精神をこの組織に浸透させたいと思います」

    具体的には、という記者の質問に対しては、

    「この数年(実際には4年)、文部科学省の仕事の進め方を見ていて、丁寧すぎる面がある。プロセスや下準備に時間をかける。要は結果を出せばいいのであって、その力を外に向けていこうと職員に呼びかけます。少し守りに入っていた文部科学省だが、打って出る面があってもいい。中を効率化することで、ベクトルを外に向けることも重要です」

    と答えた。

    霞が関の理系が冷遇されていることは周知の事実。数少ない理系の官僚トップである。

    宇宙開発、原子力、科学技術人材育成、ある意味、日本の針路を決める大切な課題がたくさんある。理系ならではのリーダーシップと合理精神を発揮して、有言実行していただきたい。

     

    November 29

    文系不要論

    日曜日はブログ休刊日。今朝は早出だったが、北海道釧路沖の地震の対応に追われていた。やはり「モトムラと地震の関係」は無視できないか。

    ところで土曜日の書き込み「文系は不要?」に、興味深いコメントが。どうもありがとうございます。

    このテーマこそ、私たちが「理系白書」を書きながら考えてきて、今も考え続けているテーマであります。

    ★あおきたいちさん(抜粋)
    これは妄想ですが宇宙観光ビジネスがでてきたら、軌道計画を立てる担当者は「燃料は、軌道傾斜角は...」などという理系知識の他に「いま時事的に話題だから中東の上空を通ろう、今月は7月で今日の客は日本人だから、ガイドに彦星、織り姫のことも言わせよう」などという人文科学的な知識も必要になりそうですね。(...なんかプラネタリウムの解説員みたいな仕事だな)

    これはとっても興味深いですね。ビジネスになってしまえば、ツアコンや広報や宇宙ホテルでのサービスなど、文系理系にとどまらない職域が広がります。常々思っていたのだけれど、プラネタリウムの解説員の人は、知識だけでなくて語りが魅力的な人が多いです。インタープリター的な役割は、文系にも活躍の余地があると思います。

    ★文理系人間さん(抜粋)
    文系に進んでいる学生の大半は「消去法」での選択です。つまり、「数学が嫌い」「理科が嫌い」という理由で文系の学部を選択し、入学します。さらに、入学後は多かれ少なかれ専門知識を身につけて卒業する理系に対して、文系は散漫な体系化されていない講義をつまみ食いするだけで、名目上の専門のことに関してはほとんど何も学ばずに大学を出ます。

    個人差はありますが、全体の印象でいえば、ご指摘の通りですね。ただ、理系の人にも「国語が苦手だった」「社会の成績が悪かった」という消去法の選択をした人はいます。

    ★(続き)それでいながら、文系の人間は妙に理系に対して優越感を持っています。曰く、「理系は国語力がない」「考え方が硬い」「芸術を理解しない」などなど…そして、社会を動かす「総合的な能力」は自分たち文系の方が持っている、だから世の中も自分たちが動かすべきで理系は技術バカをやっていればいいのだ、と思っている人が実に多いのが現状です。

    これは「理系白書」の第一弾のメインテーマでした。激しく同意。

    ★(続き)専門的な知識を体系的に学ぶべきです。そうでなければ、南極や宇宙に文系の人を送り込む日はやってこないと思います。

    もちろん、これからは文系でも専門的なバックボーンは不可欠になります。「つぶしがきくから文系」というのは、やがて死語になるでしょう。これは私の予感ですが。すくなくとも、あおきさんがご指摘のように、いまのフロンティアにとっては、「広く浅い知識」よりも「専門知識」が優先され、その結果、理系に利があるというのは事実です。もちろん、理系の人でも、フロンティアでのミッションや危機管理に該当しない専門家は不要とされていて、それは「専門家でも限られた人しか選ばれない」フロンティアの特殊性もあるかもしれません。

    ★ronjaさん
    科学技術も今一番文系の力を必要としていると思います。たとえば、大学の研究組織はどのようなものがよいのか、研究費の配分システムはいかにあるべきか、どのような課題にお金が振り向けられるべきなのか、どのような人材教育システムが必要なのか。ITERとかもそうだと思っています。独立行政法人化で効率効率、なんていっているけれど、効率のいい研究運営について、もっと大規模な研究必要では、と思ったり。

    研究職(理系が多い)と事務職(文系が多い)がもっとうまく連携できれば、日本の研究水準は上がるでしょうね。

     


     

    November 27

    文系は不要?

    昨晩の強い風が、空気をきれいにしたのだろう、今朝は白い富士山がくっきりと拝めた。どうもありがとう。(誰に?)

    洗濯をして、冷蔵庫の中のありあわせでお昼を食べて出勤。10月の衣替えでコート類を出したのだけど、一度も着てないことに気づいた。今年はやはり暖かいのだろう。駅前の桜並木、例年なら枯れ木になっている季節というのに、いま黄葉を迎えている。それもきれいでいいけれど。

    今朝の科学面(東京版)に南極観測のことを書いた。南極観測の意味をもういちど勉強したかったので、観測隊出発(28日)に合わせて記事にした。

    いま地球がどの時期にあるのか分からない。つまり「温暖化」しているのか、「氷河期」に向かっているのか。南極観測は、自分たちの位置を知るための手がかりを一つでも多く見つけようとする試みなのだと分かった。いろんな国がいろんな手段(地上、気球、人工衛星など)でバラバラにやるより共同でやれば効率的なのに、と思っていたのだが、いろんな視点からいろんなデータを集める段階であることも知った。なにしろ、南極は地球最後のフロンティアなのだ。

    隊長さんに話を聞いたとき、「南極にいけるのは理系の人ばかりですかね?」と聞いてみた。隊長さんは「まあそうですね・・・。健康で、協調性があれば専門は問わないのだけれども、観測項目がとても多いので、やはり理系のバックグラウンドがあった方がいい」とおっしゃっていた。

    ただ、隊のバックアップ(庶務)とか、コックさんとかは非理系でも大丈夫だそうだ。私はもっと、積極的に人文科学や芸術を学んだ人が、南極に行ったら楽しいと思う。(実は自分がいきたい)

    先日、宇宙飛行士の毛利衛さんと、毎日新聞東京本社の観堂編集局長との対談に同席した。「宇宙飛行士は理系ばかりですか」と編集局長が聞くと「そうですね」とのことだった。

    毛利さんによると、NASAの危機管理システムは、「理系の知識と技術がある」ことを前提になりたっているそうで、限られた人数で、想定しないトラブルをしのぐには、「しろうと」がいてはいけないらしい。1986年のスペースシャトルチャレンジャーの事故のとき、学校の先生が搭乗していて犠牲になった。それもブレーキになっているかもしれない、という。

    ただ毛利さんは「これからは、純粋な科学者とか、純粋な芸術家とか、いままでの宇宙飛行士の枠にはまらない人が宇宙へ行くようになるとおもしろいですね」という。私も同感だ。

    フロンティアには文系は不要(というよりお荷物?)らしいが、これからそういう概念が取り払われることを願う。

    なお、毛利さんと編集局長の「文理対決!」対談は、11月30日付けの朝刊に掲載されます。ただし東京本社管内(東北、関東、甲信越)だけなので、ウェブに載せられたらいいな。

     

    September 29

    ギャップ

    閑話休題。

    文系の私は時々、どうしても越えられない「理系の壁」にぶつかる。

    その一つが「バンドギャップ」だ。半導体の取材をしていると、必ずといっていいほど登場するこの単語。きょう、金属に関する電話取材で、十何度目かの遭遇をした。(以下再現。理解してないから不正確かも)

    相手「この場合、電子が高いところから低いところへ移るんですが」

    私「どこに段差があるんですか?」

    相手「段差というか、エネルギーの高低です」

    私「つまり電子が飛び降りるんですか」

    相手「まあそうです」

    私「なんでですか?高さが高いほどいいんですか?ギャップってのはなんですか」

    相手「つまり量子化された状態では・・・」

    まって!まって!量子化、その言葉も私はまだマスターしてないのに!

    なんだか、バンドギャップと量子化ってセットで出てくることが多いんだよねえ。知らなくても記事は書ける。というか巧妙に避けて書いている。これ、文系出身の科学記者の一つの限界。

    ダーリンは外国人」っていうエッセイの広告に、外国人の夫が「出会い頭」の意味を知ったかぶりして「出会いがしら・・うちの近くにも欲しいよね」って言ってる笑えるシーンがある。私も同じような赤っ恥を、何度かいているかわからない。

    ちょっと前には、野球担当の記者に「ヒットエンドランって、必ず打てって監督に命令されるんでしょ?でもさ、命令されて打てるんだったら、みんな打率10割じゃん」と素朴な疑問をぶつけて、絶句された。自分がヘンなことを言っているのかもしれないけれど、どこがヘンなのか、今でも分からない。

    知る者と知らぬ者のギャップは大きい。

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