| 元村有希子・田中泰義's profile理系白書ブログBlogLists | Help |
|
|
June 17 京都で人材問題を考える元村です。ヤスはまだリハビリ中か?
今週末は京都である。先週は伊豆、先々週は仙台。なんか寅さんみたいになってきたぞ(笑)
理由は、16~17日、京都国際会館で開かれる毎年恒例の「産学官連携推進会議」に呼ばれたのだ。
私の役割は、4つの分科会のうち、「高度理工系人材の育成」分科会に出席することだった。
2日間で合計3000人が全国からやってくるというビッグな会議なので、「人材」分科会にも600人近い参加があった。
当ブログの読者諸氏のほとんどはご存知だろうが、日本の科学技術を担うと期待されている「高度理工系人材」(と呼ばれているらしい)の育成状況は、相変わらず雲行きが不透明なままだ。個人差はもちろんあるが、政府及び大学の現状認識はこんな感じだ。
その1.主に企業の敬遠による博士の就職難。
その2.それを見た後輩たちが、博士課程に進まず修士で就職する→博士課程の進学率低下。
その3.諸外国に比べて、ただでさえ博士の数が少ないのに、さらに減っていく。
その4.アジアの猛追もあり、日本の科学技術力はますます低下していく。
その5.あえて博士課程に進もうという人は、アカデミア志向が強い人が多いので、ますます企業は敬遠して採用しなくなる。
その6.その結果、博士の活用が進まない。
というのが、現状についての、政府の悲観的分析。これは産業界と大学とが連携しないと解決しないぞ、ということで、この会議の議題になっている。
しかし、私に言わせれば、15年前、博士倍増を狙って、大学院の定員を二倍にした時から、うまくいかない場合にはこうなると分かっていたのではないか。
ポスドクを増やしたのは、その対策の一つだったし、実際にポスドクの存在によって、日本の研究現場は支えられている。
しかし、ポスドクのその後の受け皿不足が今、新たな問題になっているし、まだ好循環にはなっていない。
企業が博士を採用しないのが原因なら、「企業が採用したくなるような博士」を育てれば良い、というのがシンプルな答えだが、アカデミックキャリアを念頭に置いてきた大学院教育がおいそれとは変われない、という現状もある。
とまあ、こういう話を、今年もやってきた。
2年前に参加したときも、こういう話をして、みんなでうなずいたのだ。
もういい加減に動いたらどうですか?という問題提起をしたのだが、みんなはそれも分かっている。
経団連は3月末に、「悪循環を好循環にしよう」という提言を出した。
お互いに「相手が悪い」と言い合うのはやめて、人材育成でも産学連携すべし。
夜は京都の御仁と産産連携(笑)。
大文字山が正面にみえるお宅で、女性シェフの料理をいただいた。送り火の時にきたらいいだろうなあ。
写真はその一こま。それから、新幹線から見えた見事な富士山。 June 14 若者よ元村です。
今週末の予報は雨。関東地方もそろそろ梅雨入りだろうか。
水不足の知らせもちらほらと入ってきているし、梅雨は梅雨らしく、雨に降ってもらいたいものである。
へえと思ったのは、この冬に雪が少なかったために、ダムに流れ込む雪解け水が減っており、平年並みに雨が降ったとしても、水不足気味だという話。
考えてみれば当たり前だけど、異常気象というのはこういうところに連鎖的にきいてくるのだね。
ちょっとしたお知らせ。毎日新聞が協和発酵さんの協力で実施している、中高校生向けの「21世紀を幸せにする科学作文コンクール」、募集スタート。
いつも印象的な(ちょっとドキッとする)ポスターで、学校などに掲示され、たくさんの応募が寄せられる。
過去の最優秀賞受賞者に女子が多いので、驚いたことがある。
中学校あたりから、女子は理科が苦手になると言われているので、頭の片隅に「応募は男子が多い」という先入観があるのだろう。反省。
21世紀、どんな世界にしたいか、という自由な発想があり、そのために科学がどう貢献できるかという、少し現実的な考察があり、さらに「作文」コンクールなので、それらを表現する力が問われる。総合力、というとオーバーかもしれないが、最優秀賞の作文のレベルはかなり高い。
このブログを読んでいる中学生、高校生のみなさん、副賞はアメリカ旅行ですから、ふるって応募してください。
もういっちょ、私がかかわっている「若者頑張れ」キャンペーンとしては、全国から中学生40人を選抜して、富士山の麓で夏休みに合宿する「創造性の育成塾」がある。
昨年始まり、今年が2回目。残念ながら募集は締め切られているけれど、こちらも豪華講師陣が寄ってたかって教えてくれるので、かなり中身の濃い2週間になることは間違いない。
早くも、この塾の卒業生が、大きな科学コンクールで賞をもらったりしているそうだ。
(厳密に言うと、もらえるぐらいの子が塾に来たということだね)
彼らにとってみれば、同じマインドを持つ友達が全国に39人できるわけで、これは楽しい経験だろう。
何事も挑戦である。挑戦には好奇心と勇気がいる。知識や創意工夫、プレゼンテーション能力も問われる。自分の想像している自分の能力の限界より「ちょっと上」を目指して頑張れば、人間は成長する。そんな環境を大人たちが用意するのは、とても意味のあることだと思う。 April 30 大学院3割ルール元村です。
きょうの東京は汗ばむ陽気。いい天気だけれども、富士山はかすんで見えない。
休日なので新聞各紙をゆっくり読んだ。
朝日新聞が、教育再生会議の「大学院自校比率3割ルール」を打ち出したことについて特集を組んでいる。
詳しくない方のためにちょっと説明すると、日本では、大学を卒業して大学院に進む場合、多くはそのまま同じ大学の大学院に進学する。
アメリカは違う大学院に進み、違う環境、違う仲間の中で勉強する。
すると、いわば日本は「温室育ち」、米国は「武者修行」、この差が、研究力の差に現れる、とかねてから指摘されてきた。
で、教育再生会議がこのたび「旧帝大は少なくとも、自校出身者の受け入れは3割程度に抑えるべし」という意見をまとめたというわけ。
座長の野依先生は5年前、理系白書のインタビューでも「3割に抑えるべし」と言っていたから、満を持しての登場、ということになるのか。
いずれにしても、賛否は分かれる。
地方大学にしてみれば「旧帝大の優秀な学生がうちに来てくれるかも!」という期待があるようだ(これまでは、優秀な学生が旧帝大に逃げていた)。
旧帝大にしてみれば「その精神は分かるが、数値目標はいかん」とか「どうやって3割を選ぶの?」という疑問の声もある。
「強制的に運用すると、学生の学ぶ権利を侵害するのでは?」という教授もいた。
大学院大学(奈良とか北陸とか)は「どうぞどうぞうちにおいでなさい」と歓迎ムードだろうか。
まあ、流動性が高まるのはいいことだと思うけれど、たしかにどうやって3割をキープするのか、というあたりの運用は不透明。
議論が始まればそれはそれで、いい問題提起になるだろう。
プロフィルの写真を張り替えました。
東京タワーに襲い掛かるリス。いかが。
けさ散歩の途中に撮影しました。
さて仕事仕事。 April 24 高校生は何になりたいのか元村です。気になったニュースから。
「将来偉くなりたい」と強く思う高校生の割合は、日本が8%で最低。日米中韓の比較調査から。
将来就きたい職業(複数回答)でも、弁護士や裁判官、大学教授、研究者の割合が99年に比べて低下したそうだ。
公務員は前回の31・7%から9.2%にガタ減り。
「分からない」を選んだ生徒が6.2ポイント増の9.9%に増えたという。
どう考えたらいいのだろうね。
公務員人気は景気と関連する(好景気だと人気が下がる)、というけれど、今は好景気ではないから、公務員という職業そのものの見えにくさが影響しているのかもしれない。国民には文句を言われ、議員にはいじめられ、苦労した末に天下りもできなくなるんだからやってられないよ~って?
研究者になりたい高校生の割合も減っている、と記事にはある。
弁護士、裁判官などはドラマにもなってるし、それほど遠い職業ではないと思うけれど・・・
いったい、高校生はどうしたいのだろうか?記事からは読み取れない。
偉くなりたいと思わないってことは、「お金をもうけなくてもいい」ということだろうか。
それとも「偉くならなくてもいいけど、お金はもうけたい」ということだろうか。
まあどっちか分からないが、もっと元気を出してほしいと思う。根拠のない自信でもいい、実現性が小さくてもいいから、夢は大きく持った方が楽しい。
好きで好きでたまらない!というものを見つけてほしい。
好きなものを追いかけていて「偉くならなくていい」「将来弁護士にならなくていい」と答えてくれているなら、私は「おっし!」と力強くうなずける。 March 20 桜開花元村です。ごぶさたでした。
東京都心で桜が開花した、と気象庁が発表。全国で一番早いそうだ。
とはいえ、東京はきょうも冷たい北風(北西風か)が吹き付ける日が続いている。ロングコートとマフラーが手放せない。
日差しは着実に春のそれになっているように思う。
とりわけきょうは、空気が澄み切っていた。目に見えない粒子がきらきらと輝いているような感じさえする。富士山もよく見えた。
きょうはちょっと気分が良いのである。
2月の終わりに、葛飾の小学校へお邪魔した。
毎日新聞には「記者派遣授業」というのがある。「NIE(教育に新聞を)」活動の一環だ。
小中学校(時々高校)から「こんなテーマについてこの人に来てもらいたい」とリクエストをすると、ご指名の記者が参上する、という仕組みになっている。
5年生90人に、自分が出会った印象的な人の話をした。実はその後の「質問コーナー」が盛り上がったのだが、ここでは詳しく書かない。
ともあれ、その授業の後、子どもたちが「元村記者の授業」を自分なりに取材して新聞にしてくれた。
担任の先生が、それを送ってくれたのだ。
題字も「元村さんからきいた命の大切さ新聞」とか「記者新聞」とか「新聞記者さんからのおくりもの新聞」とかさまざまである。
イラスト(もちろん手描き)、記事(もちろん手描き)、見出し(独創的)、レイアウト(これも独創的)がB4の用紙にうまく配置されていて、その個性に圧倒された。
5年生記者が元村という取材対象に、自分なりの印象をもって向き合ってくれたことが分かる。
さらに、前半に話した内容を、きっちり理解してくれていたことに驚いた。(医療過誤をめぐる少し重くて難しい話だった)
いやー、取材されるというのも、うれしくどきどきするものだ。
複数の児童が「元村さんは、なななんと40歳、とても若く見える」と書いてくれていたのが、実は一番うれしかったりして。
ちなみに、児童の机で(ちょうどいいサイズだった)給食もごちそうになった。昔よりおいしく感じたのは、大人になったからだろうか。
残しても怒られない雰囲気に変わっていたのが、新鮮だった。 October 29 きょうは物理元村です。
まずはお知らせ。首都圏限定だけど、9月24日に横浜でひらいた「理系白書シンポジウム」の詳報が今朝の朝刊に掲載されました。
科学技術教育に関心のある方はどうぞ。クロトー博士の講演も詳しく載せました。
さて、きょうは物理教育がテーマのシンポジウムに参加してきた。
「これからの理科100年に向けて」というサブタイトルがついている。
さすがに100年間の責任はもてないが、ジリ貧にも思える理科教育の今後を考えましょう、という催しだった。
パネリストをざっと見渡すと、中学教師、高校教師、大学教授、シニア研究者・・・で私はほとんど唯一のアウトサイダーのようである。
期待されているわけではないけれど、外から注文をつける、というのが私の役割なのかもしれないなと思った。
物理も化学も地学も生物も、みな「うちの未来は暗い!だから予算を!もっと光を!」というけれど、みんなが個別に言うより、一緒にやったらどうでしょう?という提案をさせてもらった。
現場の先生たちの話を聞くと、先生たちはとっても忙しいそうだ。
小学校では学級崩壊対応、中学校では生活指導、高校では受験指導。
知識習得型の授業がびっしりで「実験もへちまもない」って学校もあるし、授業が忙しいので実験の仕込みや片づけができないから、実験をじっくりやらせられない、という状況もあるそうだ。
物理に関して言えば、理学部物理学科で物理を学んだ人以外だと、いまいち教える自信がない。それが授業態度に出てしまい、父母の不信をかうようなこともあるらしい。
「そういうときに、気軽に相談に乗ってくれる窓口があったら」とある先生は発言していた。
立場によって、いろんな見方、いろんな意見があるなあと思いながら聞いていた。
みなさん熱心なのはいいけれど、予定時刻を1時間15分オーバーして終了。
私は次に約束があったので、ちょっと焦った。
シンポジウムで隣り合わせたガリレオ工房の滝川洋二さんから「出たばかりの本です」といただいたのが「科学の常識が面白いほどわかる本」(KAWADE夢新書、720円+税)。読み始めるとはまる。みなさんも一緒に考えましょう!
問1:20度の水と60度のお湯がそれぞれ入ったコップを冷凍庫に入れると、先に凍るのはどっち?
問2:水が入ったコップをはかりに乗せた状態で、水の中に指を突っ込んだら、はかりの目盛りはどうなる?
問3:お月様が白く光って見えるのはなぜ?
きょうはなんだか疲れた・・・へとへとだ・・・・。
写真はアメリカ土産のへんないきもの。
October 25 世界史教えない問題元村です。
昨日降ってわいた「必修科目を高校で教えてなかった」問題。きょうになって、各県で「やってました」という高校が続々現れている。
実は昨年夏、この問題を「理系白書」で紹介した。
「文理分け教育を問う」の中で、受験に出ない「理科総合A」を、教科書を買っていながら教えず、別の科目(化学)を教えているケースを紹介した。
授業時間数が削られた新学習指導要領のもと、高校教育が大学受験対策に四苦八苦していることの象徴でもあった。
おそらく高校サイドには、「こんな学習指導要領作って押し付けた文部科学省が悪い」という(口にできない)不満があるのではないかと思う。
かといって、「受験対策だからいらない科目は教えない」という理屈が通るかといえば、通らない。
前回エントリとも似通うけれど、「受験に出ない=いらない」という図式はナンセンスである。
それが当たり前になってしまっている現状が問題だ。
今回の騒ぎが、何かを変える突破口になればいいと思う。 June 12 当世大学生気質サッカーW杯日本-オーストラリア戦。新聞製作も今夜は特別態勢である。
普段だと、東北の方で配られる新聞は22時前に記事の締め切りがくるが、きょうだけは試合の様子を入れたい、ということで、製作現場が頑張っている。
科学環境部に残っているのは、当番デスク、夜勤のS記者、所用から戻ってきたS部長、そして発信箱を手放したばかりの私。
サッカー好きのYデスクは「きょうはオーストラリアワイン飲みながら観戦させて」と、いそいそと帰宅した。
試合は前半に1点先取、なかなか健闘している模様。
(それほどサッカーに熱を入れてないので、淡々とした報告ですみません)
今朝、ある大学の工学系学部で授業をしてきた。
私の年齢の半分ぐらいの学生さんたちである。
1限目の一般教養科目、ということもあるのだろうが、リアクションが鈍い。
最初からコックリコックリしている人もいる。
「今朝の朝刊読んだ人?」と手を上げさせたら、50人ぐらいいて2人だった。
学生なら購読料もったいないもんね、それにサッカーの試合、遅くまで見たんだろうな、と気を取り直す。
次に、寺田寅彦の話をしたのだが、ぽかんとしている。
「知ってる人?」と手を上げてもらったら、ゼロだった。
「天災は忘れた頃にやってくる」って知らない?と聞いたが、無反応。
「三四郎」に出てくる野々宮って研究者のモデルよ、といいながら、ひょっとして「三四郎」も読んでないのかな、完全にこのネタ滑ってるなと反省。
理系でも歴史は勉強しないとね、という文脈で、「アウシュビッツを知らない工学部の学生がいた」という話を紹介しながら、「知ってる人?」と手を上げてもらうのはやめた。
いままでの経験から言って、優秀な大学の学生さんは、こっちの話が何を話したか、だいたい把握している。でも自分の意見や疑問を発表することをためらう人が多い。
1対1で話すと、それなりに意見を言ってくれるし、メールで質問などをしてくる学生もいるが、集団の中で目立つこととか恥をかくことになれてないのだろうか。
分からないことはここで聞かなきゃソン、と私なら思うところだが、面の皮が厚くなった証拠だろうか。
あ、いまオーストラリアが1点入れて同点。
さらに1点。日本ピンチ。 April 06 挑戦するこころ今日づけの発信箱で、通算75回。
入学シーズンに合わせて、2006年問題を取り上げた。
「いちばん教えない」02年学習指導要領で高校時代をすごした一期生が、この春、大学に入学してくる。学力不足がきわまる、という大学人の心配を「2006年問題」と呼ぶ。
もっとも、その前からゆとり路線はあったから、大学ではすでに、その対処が始まっていて、特に今年、何かが起きるということではない。
見ていて思うのは、大学もそろそろ、教育を見直した方がいいのではないかな?ということだ。
結局、高校までのゆとり路線と、大学以降の「専門家(あるいはエリート)養成」路線とのギャップが、埋めがたいほど拡大してるってことではないのかと思う。
学生たちも気の毒だ。自分たちの責任ではないのに、「学力不足」とか言われる。
ただし、大学の授業についていけないからといって、自信をなくす必要はまったくないのではないかとも思う。ほとんどの人が、ついていけないものだからである。
ところで、週末から出かけると書いた英国出張の目的は、サイエンスコミュニケーション関連のセミナーに参加するため。議論は全て英語。自分で務まるのかと不安は尽きないが、新しい挑戦に不安はつきもの。エイヤと飛んでしまうに限る。
先日は、ラジオ番組の収録をした。4月9日夜、TBS系の「エネルギッシュトーク」という番組に出る。残念ながら私は英国に行っていて聞くことができない。
私はそれほどエネルギッシュでもないし、語りかけるべきものも持ってない。だけどこういう番組に呼んでいただけるのはたいへん光栄である。これも挑戦。
ちなみにエネルギッシュというのは和製英語ですよね。正式にはenergetic。 February 27 入試に出る毎日新聞毎日新聞科学欄の人気コーナー「なぜなぞ科学」が、今年の東京農工大の入試問題に使われたそうだ。
農工大といえば、生協の白石さんがいらっしゃる大学である。先日、この大学の教授と飲む機会があって「白石さんってどんなヒト?」と聞いてみたら「整った顔立ちの男性だけど写真はNG」と言われた。
そうそう、入試問題。使われたことは事前に通知があるわけがないから、昨日朝刊の毎日新聞の記事で知った。
きょう、入試課に頼んでファクスを送ってもらったら、使われていたのは私の記事だった。
昨年2月12日に掲載された「『火事場のばか力』ってあるの?」という記事。
たしかこのブログでも一時、これが話題になったような記憶がある。
何の科目かというと、私費外国人留学生特別選抜の「日本語」の問題だそうだ。
なんだかうれしい。
日本語の試験問題というからには、外国人が読みやすい内容だったということか。科学ネタだから、テーマとしてはユニバーサルだということで、試験問題の作成者が選んでくれたのだろう。感謝。
解いてみた。自分の書いた文章の読解力を自分が試されるというのは不思議な感じである。けっこう難しくて、「もっと分かりやすく書かなくちゃ」と反省した。
昨年度の同じ入試にも、「なぜなぞ科学」が使われている。こちらは江口一記者が書いた「スペースシャトルの中で浮くのはなぜ?」という記事である。
3,4年前には、奈良教育大の小論文のテーマに、「理系白書」の記事が選ばれたことがあった。
朝日新聞みたいに「入試に出る毎日新聞」とPRしたいところだが、社説や余禄レベルで引用されないといけないのだろう。
きょうはTBSラジオに5分間だけ生出演した。NASAの地球型惑星探査計画で、カーネギー研究所が「宇宙人がいそうな星10個を選んだ」というニュースについてコメントを求められた。
「元村さんは宇宙人がいると思いますか?」と聞かれたので、
「いないという証拠がない限り、いると思った方が楽しいですよね」と答えた。
西はりま天文台の探査プログラム「OSETI」(おせち、とよむ)もPRしようと思っていたが、時間切れになってしまった。 January 29 いのちの教育午後から横浜へ。生物教育学会のシンポジウムに参加してきた。
与えられたテーマは「誰もが身に着けるべき生物学の素養」。
難しい。
高校時代に取ったのは物理と化学で、生物は「理科Ⅰ」以外で終わりという私には、これを教えろ、これは不要ということは分からない。
ただ、将来研究者になる人ばかりではないから、生物学の授業は生命の仕組みを学び、自分の身を守り、他の生命を大切にすることを学び、「いのちってすごいなあ」と実感できる場であってほしいと思う。
新聞記者は、生き死に(つまり命の問題)に敏感でいる。
そこで動員する知識は単一の分野や領域や科目にとどまらない。
高校でも、生命操作や脳死移植などの生命倫理は「生物」ではなく「現代社会」で教えられているそうだ。しかも現実は科目の選択が進んで、生物を学ばず大人になる人は大勢いる。
これからは科目や教科の枠を超えて、いのちの教育をしてほしい。
できれば、詰め込みより学びたいと思わせる授業、知識を覚えるより、知識を使って主体的な意思決定ができる教育を・・・と要望した。言うのは簡単、やるのは難しい。
会場の先生たちからの意見も興味深かった。
「生物学の教科書に人体についての記述がない」
「実生活とのかかわりに乏しく、学生が食いつかない」
「遺伝子はかっこいい、遺伝は暗いというイメージがある」などなど。
「授業で牛の目玉の解剖をしようとしたら、生徒から(命を粗末にしていると)批判された」という報告もあった。
命を大切にするってことと、私たちが他の命を利用して生きていることとは矛盾するだろうか。
私は矛盾しないと思う。
「この世にムダな命はない、それぞれを大切だと思う」気持ちで向き合う。かっこよすぎるかもしれないが、他の命の犠牲の上に生きている私たちの、それが限界でもある。 December 26 科学の裾野を広げるみなさん、熱い議論どうもありがとうございます。
私自身は、科学の裾野を広げるには「波状攻撃」、あらゆる場面、あらゆる対象にアピールできる戦略が必要だと思っているので、それぞれの意見に共感しました。
例えば、「理系は苦労ばっかり多くてもうからない」という考え方があるとして、それを重視する学生や、親世代がいるとすれば、そこを変えたい。価値観を変えるアプローチもあるし、収入水準を上げていく(どうすればいいかしらないけど)アプローチもあるし、中村さんのような「成功事例」を積み重ねて紹介していくことが有効かもしれません。
理科の好き嫌いが、先生の好き嫌いとリンクしているとすれば、先生の資質向上も有効でしょう。
女子は中2ぐらいから理科嫌いが増える、というデータはあって、その原因をきちんと調べてみたら、「先生の好悪」「単元の好悪」などの改善点が見えてくるかもしれません。
物化生地の4科目を高校でも学べるようにしようじゃないか、という提案は理系白書取材班でもずっとやってきたところですが、声が小さい(あるいは壁が厚い)ために実現できていません。大学と高校とが連携して、現場から動き出すことも必要だと思います。
文部科学省は、理科の先生に大学院修士課程修了を奨励する方針を打ち出していますが、それだけではなくて、理学部や工学部の学生が教職課程を取りやすくする、という工夫も必要でしょう。
マスコミで最近、「世界一受けたい授業」のたぐいの、科学を分かりやすく魅力的に伝える動きが出始めているのは明るい材料だと思っています。欲を言えば、科学っていいなあと、あらゆる階層の男女が素直に思えるPRがありませんかね。「博士の愛した数式」はしっとりとしたいい小説で、映画にもなりましたが、あれも一つの科学者のステレオタイプであって、若い人が「数学者になりたい」と思うかどうかは微妙です。
・・・いずれにしても、「これさえあれば」という特効薬はないような気がしています。 December 18 in TOYAMA遠山ではない、富山である。
飛行機に乗る段階で、「雪のため、引き返す恐れがあることをお含みください」と言われた。イヤだともいえないので、黙って乗り込んだ。
プレゼンテーションファイル未着手のままだったので、機上で作る。なにせ所用1時間、パソコンが使えるのはそのうち40分ぐらいだから、慌ててやった。
羽田上空は、気が遠くなるほどみっしりと建物が関東平野を埋めているのだが、富山空港周辺は、このごろ話題のマンションもなく、見通しがとてもよい。立山連峰は残念ながら、雲に覆われて見ることができなかった。
きょうの対戦相手は、高校生36人(うち女性4人)。理科好き、というだけでいろんな高校から集まった彼らと合宿形式で話をする、というイベントに招かれたのだ。
講演は80分。作ったスライドと、ホワイトボードで、科学と社会について話した。韓国のクローンES細胞をめぐる騒動や、アインシュタインと原爆の関係などについて、重点的に話をした。
夕食のあとが「本番」のとことん討論。かれこれ4時間半、いろんな学生さんとしゃべった。
「将来は研究したい」とか「脳にかかわる医療関係の仕事に」とか、明確に自分の将来像を結んでいるひとも少なくない。えらいなあ。
自己紹介の時に「僕はいわゆるオタクです」と言った学生さんと、話が盛り上がる。オタク論議だけでなく、生命倫理やロボティクス、科学技術における「夢」についても話し合った。大人としゃべっている錯覚に陥ったが、かれらの多くは、私が会社に入ったときにオギャアと生まれたという。
あしたは雪上実験、そして解散だ。「この冬一番の冷え込み」とやらで、帰京できるか微妙だそうだ。
September 11 博士問題の難しさみなさん、熱い議論をどうもありがとう。
何に対してお礼を言っているのかというと、ブログをのぞいてくれる3000人の人たちに、問題の所在を知ってもらうことはとても意味があると思うので。
ただ、「何が問題か」について、混乱する人もいるだろう。私もだ。
少し整理を試みたい。
★国策としての「博士倍増」の矛盾
借金して、時間もかけて、苦労して博士になっても就職できない
★大学院での博士養成上の問題
優秀な博士はちゃんとした待遇で就職している。博士の質の問題だ
米国は厳しい競争を潜り抜けた博士だから有能で優遇される。日本は博士論文の審査が甘い
★博士に対するイメージの問題
お金が欲しいなら博士にならないで就職すればいい
博士は専門性が強すぎて、社会で使いにくい
「個人の資質・努力・能力」という要素をはずして考えてみよう。人文科学の博士も除外して、自然科学の博士に限定する。
自然科学の研究者になろうと思ったら、博士号は免許証のようなもので、やっぱり必要だ。とるには大学入学から9年とか10年の時間がかかる。しかし、年間1万2000人の博士が生まれていて(論文博士含む)、その3割が就職していない。
大学院では、博士課程の学生は、教授のテーマを手伝ったり、研究室の雑用を引き受けたりしている。いわゆる下働きだ。学部生を指導するTAやRAをのぞくと、労働奉仕に対する対価はない。
じゃあ、彼らが浮かばれるのはいつか。
世間一般には「晴れて博士になり、就職して稼ぐ」ってことになるが、就職難だったり、月給がそれほど高くない現実がある。
自分は金のために博士になるわけじゃないと思う人の気持ちは尊重するけれど、マクロでいえば、それなりの待遇を、国全体として整えるべきだ。
「博士という資格をきちんと遇する」ことと、「博士が高度な専門職業人になる」ことは表裏一体のものだと思う。現状は「使えないから遇されない、遇されないから余る」悪循環に陥っている感じがする。そこに誤解もかなり混じっている。
例えば、博士同様に苦労して司法試験をパスした弁護士や、国家試験をパスした臨床医が、社会的にも地位が高く、お給料もいいことと比べると、そう感じる。
現状で、社会が博士を必要としていないなら、必要とされる博士を育てる、という視点が大学院にも必要ではないだろうか。
うーん、うまく言えてないなあ。
シンプルに言い換えると、
日本が科学技術で食って行こうと、大学も政府も企業も考えているのに、なんで博士が使われずに余ってるの?変じゃない?みんなが真剣に考えたら改善できるはずだぞ!
これでどうか。これじゃ稚拙すぎるな。
June 19 BUTSU・BUTSU
June 16 BU・TSU・RI
April 29 打ち上げ・・・といってもシャトルではない。 2月、ワシントンDCに派遣されたメンバーの「お疲れ様会」に参加した。銀座の沖縄料理屋。 個別にはちょくちょく会ったりしているが、顔をそろえるのは2月末以来である。遠くは宮崎、函館からも駆けつけていた。 1週間、ワシントンからミネソタ、サンフランシスコと回っただけだが、なんだか懐かしい。物理、天文、科学政策、理科教育、ミュージアム・・・PUR(市民が科学を、理解し、楽しみ、使いこなせる社会の実現)という大きな目標の下に集まった、さまざまな分野のエキスパートばかりである。このミッションがきっかけで、共同研究も走り出そうとしているようだ。 最年長の北原和夫さん(ICU教授)がこの場で「宣言」した。 「よし、Science for all Japaneseを目指そう」 米国は80年代末、国民が身に付けるべき「科学リテラシー」を掲げた。目標としたのは、次にハレー彗星が地球へ近づく2061年。 中国は、独立100周年の2049年を目指して、科学リテラシーの向上を戦略的に進めている。 日本はどうだろう。「科学技術基本計画」がそれにあたるが、5年ごとに見直すもので、長期的なビジョンはない。これが猫の目学習指導要領を生んでいるという指摘もある。(理科には限らないか) みんなが「そうだね」と納得できて、現実的で、シンプルで、印象的で、わくわくするような、そんなビジョンがあったら、世の中と科学の関係は変わるだろうか。
February 02 サクラサク受験関連。 今朝地下鉄に乗ったら、車両全部がキットカットの広告になっていて、コピーは「サクラサク」だった。 サクラサクって、懐かしいなあ・・・今の子どもたちはこれを見て分かるのかなあと思った。 私が大学を受けた当時は、サクラサク電報はすでに、「記念」的な色彩が強かった。試験の日、会場の外で「サクラサク電報受け付けます」ってサービスがあったが、私はその500円だか1000円だか2000円がもったいないなと思って頼まず、当日合格発表を見に行った。 でも、あの当時で、見にいけなかった人はどうやって合格を知ったのだろう。サクラサクだけではないと思うけど、インターネットもメールも普及してなかったしなあ。 今の人たちは、どうやって合格を知っているのだろう。 受験で思い出したけど、いま英語を再び勉強している。年齢とともに記憶力が低下しているのを痛感しているので、20年ぶりに単語カードというのを買った! 最近はTOEICとかTOEFLを受験するオトナが多いせいか、単語カードもおしゃれなのがあってびっくりした。 確かに、単語カードを使うと覚えやすい。でも、電車の中で単語カードをめくるってのはちょっとはずかしい。隣の人から覗きこまれるし・・・。 しかも書いてる単語が、いわゆる受験英語ではなくて、日常英語。 表「hangover」裏「二日酔い」とかね。
「お」を取ります前回「お受験」にコメント多数ありがとうございます。 nqさん、ハナゲン父さんにピシリと言われて反省しています。「お受験」という言葉を、普通に使ってしまったのですが、侮蔑的な意味合いに取られたとすれば、本意ではありませんのでごめんなさい。これからは「お」をつけずに語ろうと思います。 「特殊な例を普遍化」しようとしたつもりもないのですけれど・・・。身近にそんな話があったので、単純に驚きました。もちろん私は、中学校受験がいけないとは思っていません。公立と私立のバランスが、東京は地方に比べて違っていることを書いたつもりです。 ところで、子どもの学力に、親の教育への無関心というファクターがあるとか。これは初耳です。日本はとりわけ、子どもの教育に関心がある親ごさんが多いと感じていたからです。これも意外でした。 議論が「教師の能力」に移って来ているようです。教師の能力って総合的なので、人間力なのか、学力なのか、指導力なのか、ほかの能力なのか分かりませんが、フィンランドのように、学士より修士、修士より博士がいいという単純なものでもないでしょうね。「子どもを育てる」という目標の下に、教師も親も社会も協力しあえる風土があったらいいなと思います。 公教育への支出はもっと増やすべきでしょう。それから学校の裁量を増やす。理科大好きスクールとかに指定されない限り、実験道具も自由に買えないという実態を聞いたことがあります。
February 01 お受験日本海側では大雪だそうだ。東京は晴れているがとっても寒い。「冬本番」。プロフィールの写真も、私の家から見える雪の富士山(望遠レンズ使用)に替えてみました。 ところできょうは、東京地区の私立中学校の受験日だ。有名中学校がここに設定しており、子ども達は本命と滑り止めをどこにするかに悩む。子どもというより親か。 知人のお嬢さんも受験だという。事前に一つ合格していて、その点安心だが、きょうが本命だそうで、気が気ではないようである。 子どもの受験につきあう人も多いらしい。同僚が「きょうは親子連れがぞろぞろ歩いていた」と話していた。 ちなみに、知人のお嬢さんが通っているのは公立の小学校だけれど、クラス35人のうち、きょう学校へ来たのはたった7人!なんだって。残り28人は受験ってことか。 中学受験を頑張れば、高校受験は免除される。大学までエスカレーターというところも多い。受験のプレッシャーがないのはうらやましい。のびのびと勉強やクラブ活動ができる。一方で、学費はおそらく高くつく。親は大変である。 私立信仰が過熱すると、所得格差が教育格差を生む、という事態が生まれる可能性もある。つまり優秀な子は私立へ行き(行かせるだけの親の収入があるってことでもある)、有名大学に行く。その分だけ、公立は信頼されなくなり、活気を失っていく、という構図である。 私のふるさと(九州)は今でも公立信仰が根強い。そんな風土の中で育った私には、都会のお受験という習慣が、どこかピンと来ないのだけれど。 |
|
|