元村有希子・田中泰義's profile理系白書ブログBlogLists Tools Help

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    May 24

    どサイエンス

    元村です。
     
    特急「かいじ」に乗って甲府へ日帰り。山梨大学に呼んでいただき、女子生徒を前に授業をしてきた。
    九州に育ったせいだと思うけれど、山が見える風景はどこかほっとする。
    でも甲府の場合はその山が高いのである。南アルプスに富士山だからね。
    富士山が見える日は、元村は基本的に機嫌がよい。
     
    山梨大学の工学部には、けっこうな数の女性教員がいる。人数としてはそう多いわけではないが、全体の教員数がマンモス大学(←死語?)に比べて少ないので、比率としては高い。
    女子学生も毎年100人近くが卒業していく。
    だけど、安心してもいられない。
    数年前、既卒者の女性にアンケートをとったら、メーカーなどに就職したあと、やめてしまっている人が意外に多いことが分かり、これはロールモデルの少なさに起因しているのではないかと、女子学生向けのキャリア教育に力を入れているのだそうだ。
     
    同時に、女子学生が高校生に実験教室などを開く取り組みも始まっている。
    「Do!サイエンス」というプロジェクトだが、これは「どサイエンス」と読むそうだ。
    「ど根性のど、ですよ。とことんやるとサイエンスって面白いよ、ということを分かってもらいたくて」と、私を呼んでくれた鳥養映子教授が説明してくれた。
    どサイエンス。ちょっと新鮮なネーミングである。
     
    講義のあと、工学部の先生たちと、若者談義になった。
    若者談義というより、なんで若い人が工学部を敬遠するのか、という話題である。
    工学部の定員割れはどこの大学でも悩みの種になっているようだ。
     
    写真は、山並みの上に顔をのぞかせた富士山。甲府盆地は眺めがいい。でも暑かった。
    November 08

    理系シンポ、こんどは仙台

    元村です。板前ヤスがまずは元気で戻ってきて一安心。
     
    さて、きょうから募集を開始したが、12月23日、仙台市で理系白書シンポジウム開催が決定!
    こんどは東北大学との共催である。
    東北大といえば、日本の大学で初めて、女生徒を受け入れたとして知られる。
    だから、ってこともないけれど、シンポジウムのテーマは「女性と科学技術」である。
     
    サブテーマはこんな風にした。
    「夢を形にするチカラ 女性科学者ってかっこよくない?」
     
    この「かっこよくない?」は、「よくない?」の部分を高めに発音していただきたい。つまり「かっこいいよね」の若者表現である。
    東北大の女子大学院生による「サイエンスエンジェル」に全面協力してもらい、女子高生もステージ上に招いて、ばんばん意見を言ってもらおうと思っている。
    申し込みはこちらから。男性、先生も大歓迎ですよ。
    November 20

    フレキシビリティ

    きのうは結局、買物に出た以外は自宅にじっとしていた。
    寒くなるというので、クローゼットから毛布を1枚追加。
    靴を磨いた。
     
    きのうから今朝にかけていただいたコメントを読み返してみた。
    みな、いろいろ大変だなあ。
    共通する素朴な疑問が浮かんできた。
     
    ・なんで「家事は女性」ってことになってるのか?
    ・なんで家族が病気なのに休めないのか?
    ・休めないほど馬車馬になっているのに、なんで暮らしは豊かじゃないのか?
    ・その一方で、仕事にありつけない人たちがいるのはなぜか?
    ・バカンスを1カ月取っても成り立つ国と日本とは何が違うのか?
     
    個別に議論すれば「それはね・・・」という答えらしきものが出てくることは分かっているが、要するに、こんなに「働くだけむなしくなるよね」という社会だと、やるせないってことだ。
     
    男性も女性も、性に関係なく、自分の事情に合わせて暮らしと仕事のバランスを取れるようになるといいなと思う。理想論だけど、せめて近づくことを始めないと。
    今のところ、それを実行しているフリーターとかパートタイムという働き方が「正業」とみなされてないところもある。そこらへんから変えられないだろうか。
     
    きょうは出社。小惑星に接近したはやぶさの仕事を見守っている。
     
    November 19

    男社会で働く

    きょうはまずまずの晴れ。富士山がきれいに見える。
     
    さて、華乃菜さんからいただいたコメントについて考えてみた。(前の記事参照)
    彼女は理系学部を出て、民間企業で総合職として働いているようだ。
    かなり忙しい会社らしい。同期の総合職は体を壊したりして辞めていき、周りには馬車馬のように働く独身女性と男性。彼女は結婚しているので、家庭と仕事のバランスをとりたいのだけど、会社の雰囲気はそれを許容する感じじゃない・・・というものだ。大変だなあ。
     
    女性が企業社会とかかわるときのスタンスは、私なりの定義では、
     
    その1.「・・・師」「・・・士」といった資格者として働く
    その2.総合職として「男並みに」働く
    その3.一般職として「それなりに」働く
     
    という感じになっている。ちなみに総合職、一般職という分類は、86年の男女雇用機会均等法以後、定着した。「女性を男性と並べた一方で、女性の中に格差を作った」と批判もある。
     
    馬車馬の会社の中でマイペースをどう守るか。「結果さえ出しておけば誰になんと言われてもいいんじゃない?」と言ってしまえば簡単だが、それがなかなか難しい。
    とりわけ、総合職の女性は、男性からも、一般職の女性からもなんとなーく区別されて、孤立した感じを抱きやすい、とも聞く。
    会社では馬車馬、家では家事を切り盛り、子どもが生まれれば育児も・・・と抱え込むのはつらいものである。自分の人生が、二つの価値観に支配される。だいいち、体が持たない。
     
    私自身、葛藤があるかといわれれば、今は考えないようにして、しゃかりきに働いている。
    自分の人生の中で、今の時期は、それがミッションだと思うようにしている。
    さいわい、両親も元気だ。期待してくれる人たちもいる。自分は健康で、仕事がおもしろい。こんな期間はそう長く続かない。だから今を頑張っている。
    ただ、そんな自分が誰かのお手本になるとは思わないし、みんながそうすべきだとも思わない。いろいろな価値観があるからおもしろい。
    最後は「他人は他人、自分は自分」。そう思えば、どこか吹っ切れるものがある。だって自分の人生、始末をつけるのは自分しかいないのだから。
     
    彼女の問いかけはもう一つある。
    政府は「少子化」を改善したいと言っているけど、あなたたちが期待している女性は子どもなんて生める状況じゃないですよ、というものだ。子どもを生んで育てるには、馬車馬環境はつらすぎる。とはいえ辞めれば労働資源が減る。この矛盾を国はどうするの?というわけだ。
    これも国だけじゃなくて、馬車馬環境を生んでいる社会全体で考えなくちゃいけない。男性にも「今の社会であなたたち幸せですか?」と問いかけたい。
     
    November 05

    平等って?

    家から最寄り駅まで5分ほどの道のりだが、週に2回ぐらい、不思議なものが落ちている。
    モノ自体は不思議ってわけでもないが、
     
    バナナの皮
     
    昔さあ、よくコントでバナナの皮を踏んでずっこけるっていうのがあったでしょ。今は絶滅したけど、なんでだろう?バナナ人口は倍増しているはずなのに。
    さはさりながら、道端にバナナの皮が落ちているのを見たことがある人は、それほどいないと思う。
    私はそのシーンを、週に2回ぐらい見る。
     
    よく観察していると、ごみ出し日の朝、ごみ集積場のところに落ちている。しかも「踏んでください」といわんばかりに、必ず裸で落ちている。
    誘惑に駆られるけれど、恥ずかしい(踏んでるところを見られたら恥ずかしい&滑って転んだら恥ずかしい)ので我慢している。今朝も落ちていた。黒ずみ具合からいって、そんなに時間は経っていないと思うんだ。落としている人の意図が知りたい。
     
    ところで、今日は四谷で開かれた男女共同参画関連の集まりに参加してきた。前半は、憲法24条の草案を書いたベアテ・シロタ・ゴードンさんの映画。後半が討論。
    パネリストは弁護士さん、主夫業と会社員を兼業?している男性、そして私。
     
    討論そのものは「男女平等」を暗黙の了解にして進んでいたのだが、会場から「男女平等という根拠を示してください」と批判めいた質問が出た。続いて「平等な世の中になっても、女性はチヤホヤされたいのではないか」と初老の男性。「女性は強くなったというが、女を売り物にして働いている女性もいる」と中年の女性。うーむ。この手の議論は世代、性別、価値観が色濃く絡むので難しい。
     
    私は「生物学的には雌雄に違いがあるので、平等というのが居心地わるければ、equalityではなくequity、公正・公平という言い方にしてはどうですか」と答えた。これは日本科学未来館副館長の美馬のゆりさんから教わった。
    私としては、その人がどんな働き方をしようと差別されるべきではないと思う。違う人同士が(同性でも)イコールになることは不可能なわけで、むしろ「その人が他人と違う(劣る)ことで差別されないこと=公平であること」が大切だと思っている。
     
    よいこすぎるかな。
     
    August 26

    メディアの中の女性

    東京の朝は台風一過。夏なのに、遠くの山並みがくっきり見える。
     
    1日ごぶさたしたら、コメント欄がにぎやかでびっくり。
    セキスイハイムのCMに関して書き込みがあったので少し。
     
    女性が男性に「わたしを一生幸せにしてくれますか?」と問いかけるシーンがある。
     
    続編もあって、今度はかぼちゃを丸のまま買おうとする男性に対して、4分の1のかぼちゃを手にした女性が「男はだめねえ・・・」と笑顔でたしなめるという内容だ。
     
    省エネ住宅のCMだから、最初のフィルムも続編も、「目先のおいしさや価値観にとらわれちゃダメよ、長い目で見てね」というメッセージをこめているわけだ。
     
    あれはファッションからして大正ロマン風で、おそらく「あえて」古風な男女関係を演出したCMと思われる。
     
    そういうお膳立てをすることで、「時代錯誤」感を薄めているのだと思うけど、このコンテを描いたのは男性だろうな・・・と私は思った(それ以上の反発とか違和感は感じなかった)。
     
    日本のメディアでの女性の描かれ方って、やっぱり男性的なフィルターを通っているケースが多いように思う。
     
    テレビの科学番組も、おおかたの場合、ナビゲーターは若くてかわいい女性で、「あたし、科学のこと何にも知りません、ハカセ、教えてください!」みたいな導入が多い。
    で、なぜか必ず「女っぽい」格好をしている。
    そのときのハカセは必ず男性で、白衣を着ていて、「はい、わかりました、じゃああなたを科学の世界にご案内しましょう」とか言う。
     
    まったく女性が登場しないのもどうかと思うが、最初から「教える方」「教えられる方」と役割を決めて描くのは時々、逆に害になるんじゃないだろうか。
     
    こんな話を先日、理系女子の合宿の後、教師の人たちとの雑談の中で話したら、「そうですね、外国はどうなのかな」と聞かれた。ディスカバリーチャンネルやBBCの番組はそれほど固定的に描いてないですよね、という印象を話した。
     
     
    August 24

    女の生き方

    コメント欄で「元村さんの人生設計は?」と尋ねられたので少しだけ。
     
    他の男性女性がどうなのかよく分からないが、私は人生設計を立てていない。
    「大学で●●を勉強して、●●に就職して、●歳で結婚して、●人子どもをもうけて、●歳で家を買って・・・」ときっちり設計する(というより目標を立てる)人もいるが、私は苦手なのだ。
    自分自身のことさえよく把握できてないのに、周囲の状況や運によって、ぐるぐる変わっていく人生である。
    「ケセラ~セラ~なるようになる~」
    これである。
     
    逆に言えば、欲張りなのかもしれない。設計した時点で、自分がそれに縛られるような気がしてしまい、「もっとすんごい人生が・・・」と夢想することができなくなる。
     
    漫然と生きているかといえば、そうではないと断言できるが、この先どうなるかという点に関していえば、5年先、いや2年先の自分も占えない。
     
    周囲の人々の手堅さと自分の根無し草人生を比べてたじろいだり「うらやましいなあ・・・」と思うこともしばしばあるが、他人は他人である。
    泣き言を言ったり他人をうらやんで生きるより、「まずまずの人生だったなあ」と思って死ねるような人生を送りたいなあと思う。
     
    夏休み1日目は会社に行ってしまった。「何してるんですか!」と皆からしかられた。
    2日目は在宅ワークにしよう。4つほど宿題を片付けなければならない。
     
    June 04

    続・女子と理系

    みなさん。主観客観とりまぜたコメントありがとうございました。私自身のことを少し。

    私は、大学の専攻でいえば理系ではない(臨床心理学)。共通一次試験直後に文系に転向した。

    理系の父が大好きで、彼の期待に応える(というか、断る理由がなく)、高校では理系に進んだ。一方で、自分が心を揺さぶられるものは、文学だったり詩歌だったり、古典文学だったり、芸術だったりした。これは、母親の影響が大きい。

    共通一次試験が終わり、自己採点をしたら、申し分なかった。だけど、二次試験の志願先を担任に申告する段階になって、初めて自分で考えた。

    「私は理系の授業についていけたけど、大学に進んでもまだ、物理や数学をしたい?それで、その後何になりたい?」と問うてみた。

    結果的に「文系学部を受けよう」と思った。でも父親にそのことを伝えられなかった。私は両親に手紙を書いて、居間のちゃぶ台の上において寝た。

    朝、起きた両親が私の置手紙を見て、「家出した」と思って部屋まで駆け上がってきたのを覚えている。

    両親はあっけないほど「お前が決めたならいいよ」と認めてくれた。いま思い返すと、父は「基本的にはお前を尊重するが、せっかくついていけるのなら、理系に進んでもいいのでは」という思いがあったと思う。母は「自分の足で立って、自分らしく生きていくのなら、どんな進路でも応援するよ」という姿勢だった。

    ともあれ、私は両親を説得したつもりになって、文系に進路を変えた。新聞社に入り、いまは科学を取材している。高校卒業前に、理科とは一生縁が切れたと思っていたら、そうではなかった。

    理系の人たちをたくさん取材する立場になって、父をあらためて眺めると、そうか、やっぱり理系なんだなあ、と納得するところがあって興味深い。

    母は、世界を自分の感性で、見事にとらえている。彼女は相対性理論を理解しないけれど、自然に対する畏れや感動を、絵葉書や和歌や詩歌に託して表現できる。同じ風景を見て、母子で思い出す詩が同じでびっくりすることがある。そう考えると、私は母の影響をより強く受けているかもしれない。

    親の影響はとても濃いと思う。私の場合、それは「理系・文系」という影響というよりも「お前の感性、考え方、生き方をいつも応援しているよ」という強いメッセージであった。それでもって、私はなんとか、ここまでがんばってこれた。

    雪が解けたら何になる?と先生が尋ねたら「春になる」と答えた子どもがいたという。科学的ではないけれど、一つの答えだ。

    私の兄は、小さかった私に逆上がりのコツを教えようとして、こういったそうだ。「逆上がりはね、お空の階段を上ることだよ」

    きわめて非科学的だけれど、この気持ちでやれば逆上がりができそうだ。この一言をずっと覚えていて、大きくなった私に教えてくれた両親にも感謝したいと思う。

    すごく散文的でごめんなさい。

    June 02

    女子と理系

    議論に疲れたのでちょっと話題を変える。

    きょうは「女子学生の理系への選択」というシンポジウムを取材してきた。厳密に言うと「理工系」だ。大学の理系学部の中でも、特に工学や物理学などに女子が少ないことは統計から知られている。

    きょうのスピーカーの発言の中から読み取れた「なぜ少ないか」は次のようなもの。

    ・小学校までは理科の好き嫌いに男女差はないが、中学生以降に理科嫌いになる女子が多い

    ・そこには「先生」(主に男性)への好悪とか、授業でのつまずき、そして友達や両親の影響が関係しているようだ

    ・影響とは、「女の子は文系、男の子は理系」という思い込みによって、自分なりに少し「理系好きだな」と思っていても、ネガティブな方向へ誘導されやすいということ

    ・高校で文系、理系に分かれるため、理科や数学が嫌いだと、自動的に理系を選ばなくなる

    ・さらに大学を卒業して就職しても、「理系職業は大変そう」「結婚しても続けられないかも」というイメージがあり、腰が引けてしまう

    一方で、山形大学の河野銀子助教授が指摘しているように、理系を選択した学生の動機・理由と性差のかかわりをみると、女子の方がいろいろと考えて決めている傾向があるという。つまり「逆風」的な環境の中で、覚悟して理系を選んでいるのに対して、男子のほうが「男は理系だから」とか「理系が就職がよさそう」というあいまいな動機で選ぶ傾向が強いそうだ。

    討論のコーディネータ、日本科学未来館の美馬のゆり副館長が示したデータが興味深かった。「科学に関心を持ったきっかけ」で男女差が明確化したのを見ると、女子は「生命や自然の不思議な現象に接して」が男子より多く、男子は「ハイテクやすごい機械を見て」が女子より多かった。

    科学に引き込まれるきっかけが、男女で違うらしい。その結果として、生物や農学や薬学や生命科学といった「ウェット」な領域に女性が多く、機械とか電子とかの「ハード」な領域に男性が多いのではないか。これは元村仮説。

    これについての討論はなかった。生物的な性差があるのかどうか、誰か調べてないかなあ。

    知人に「終わったらビールいっぱい飲もうよ」と誘い、会場でとっとと原稿を書いて送ったのに、気がついたら今夜は夜勤。あわてて帰ってきた。不完全燃焼・・・

     

    April 07

    女性船長

    ヒューストン4日目。きょうは終日動いた。離着陸をシミュレータで訓練する施設や、船外活動を水の中性浮力を利用して訓練するプールなどへ行った。

    きょうの主役はやっぱり、コマンダー(船長)のアイリーン・コリンズ飛行士だろう。きょうは帰還の手順を再現する訓練に入っていた。シミュレータに入る前と、管制室で計2回、囲む機会があった。

    女性の年齢を書くのは日本のマスコミの悪い?癖だが、彼女は年を感じさせないチャーミングな女性だった。背筋がピッと伸びていてかっこいい。記者が「大気圏突入の時はコロンビア事故のことを思い出して緊張したりしませんか?」と聞けば「I have no nerve!」と笑顔で答え、別の記者が「帰還のとき家族や友人のことを思い出しますか?」と聞けば「200億の乗り物と6人のクルーの命を預かっているのだから、ミッション中は考えずに集中します」とまた笑顔。

    むむむ。かっこいい。

    空軍出身で、NASAでは唯一の女性船長だ。あこがれちゃうなあ。そうそう、もう1回彼女とは会った。カフェテリアで、職員にまじってお盆(NASAマーク入り、マニア垂涎グッズ)にランチを乗せて順番を待っていた。ま、NASAの職員でもあるわけだから当然か。

    明日、彼女のインタビューがある。楽しみである。中身は記事にて。

    February 07

    みんな女性

    月曜日だが、きのう出社したから「ブルーマンデー」の兆しもない。

    お手元に毎日新聞朝刊があるみなさん、「環境」のページを開いてみてください。

    なにか気づきませんか?

    そう。登場している写真が全員、女性!

    これは、新聞ではかなり珍しい現象である。たとえば1ページに1人とか2人が登場していて、どちらも女性ということはあるが、きょうの環境面は7人の顔が出ている。その全員が女性なのである。

    メーン記事は、ノーベル平和賞を受けたマータイさんの来日にあわせたもの。マータイさんを招いて開くシンポジウムのパネリスト4人が女性だ。

    さらに、定番コーナー「NPO発」の筆者が女性。そして、正月から始まった温暖化企画の写真に登場しているのも、(これはたまたま)女性だった。

    ゲラになった段階で、ある同僚が「わ、みんな女性だ」と思わず声を上げた。

    私もそう思った。でもすかさず「そうですよ。私はいつも新聞を見ながら『わ、みんな男だ』って思ってるんですから。その違和感を大切にしてください」とチャチャをいれた。

    いうまでもなく、世の中のおよそ半分は女、およそ半分は男だ。ところが、社会の表舞台に出てくるのは、圧倒的に男性が多いのが現実である。

    違和感でも感激でもいいけれど、「わ、みんな女」と驚くとき、社会の仕組みは人口比と違って不自然なのだなと気づかされる。

    January 16

    イメージトレーニング

    きょうも冷たい雨が降り続いている。洗濯ができないじゃないか。

    昨年来の懸案事項だった「机の上を片付ける大作戦」。きょうの課題は、机の両端に築かれた三つの山を一つにすること。

    おかげで、ラップトップを置いても、資料を左側に広げられるぐらいにスペースが拡大できた。たまりまくったメールも整理。みなさんはどれくらいほったらかしていますか?受信フォルダにも送信済みフォルダにも2500通ぐらいたまってるんだけど・・・。

    きのうの夜は、女性ばかりの会合に出た。医療ジャーナリストのSさんが呼びかけたもので、乳がんの患者会を運営している人や、医療の情報公開を進めている司書さん、子供を失った親の会を運営している人などが三々五々集まった。

    私は理系白書をメインに取材しているけれど、他分野も取材する。昨年は「がんに負けない」という連載を本にまとめた。Sさんはその取材で知り合った。女性だけの会合だけに、気の置けない雰囲気で、いろんな話をした。

    おもしろかったのは、いつも和服でびしっと決めている乳がんの患者会世話人、Mさんの「和服心得」だった。Mさんいわく、「和服は場数。そしてイメージトレーニング」。

    和服は身のこなしが難しい。それは現代生活と和服のスピードが同調してないからだと思うが、Mさんも着始めたころは「急いでいるのに足が開かない!バスに乗り遅れる!」というもどかしい思いをしたそうだ。

    ところが、同じころから趣味で歌舞伎や文楽を見始めると、その役者の身のこなしが自然と自分の身についてきて、和服で過ごすのが楽になったという。「一種のイメージトレーニングよ」と、涼しい顔をしておっしゃるのだった。

    和服で仕事なんて憧れるなあ。実は、私はMさんの本職(というか仕事だ)がデコレーターだと聞いて驚いた。仕事の内容にではない。今まで私が、Mさんを「患者会の世話人」としてしか見ていなかったことにである。患者であることは、後から加わった属性なのに、わたしは職業をもっていきる人間としてのMさんに、全く関心を持っていなかったのだった。

    話は変わりますが、ウェブログの話題が不思議な盛り上がりを見せていますね。おもしろく拝見しました。マスコミはよく「ホームページ」という単語を使います。確かに。初期のころは、カタカナ6文字はさすがに長いので、「HP」と略して書いていました。すると、ヒューレット・パッカード社から「ウチのロゴみたいなのでいかがなものか」と問い合わせが来たりして、最近はURLとかウェブサイト、なんて言葉に言い換えるようにしています。

    December 04

    ペ熱

    これまた季節外れの台風を天気図に見つけてびっくりした。温帯低気圧に変わるらしいが、列島を嵐に巻き込むそうだ。

    雨なんかに降られたら、1週間ためた洗濯物が乾かないではないですか!てことで土曜日にもかかわらず、8時に起きて洗濯2回して会社に出てきた。降りださないうちに帰らなくちゃ。

    Y紙朝刊ははやばやと「今年の重大ニュース」を見開きでやっている。もう師走、年の瀬なのだと実感。ところで今年のヒット商品の横綱は「冬ソナと関連商品」だそうだ。私は残念ながら、ヒットにほとんど貢献していない。韓国の大手紙は「100人の駐日大使より1人のヨン様」と持ち上げ、彼1人で700億円の観光収入増加をもたらしたと紹介しているという。

    ペ熱、というとデング熱とかウエストナイル熱みたいだが、すごいブームである。いったい日本の女性たちはどうしたのか。

    ヨン様自身は朝鮮日報のインタビューに「あの方々(=日本人女性)を取り巻く環境が寂しく荒涼としているからではないか」と冷静な分析をしているそうだ。

    寂しく荒涼・・・なるほどねえ。風邪をひきかけた寒い心にペ熱ウイルスが入り込んだか。

    前にも書いたが、私は人間にはもっと「毒」というかクセがあったほうがいいと思っていて、ヨン様の演出はそれがないので(本人の素性は知らないが)魅力を感じないのかもしれない。

    冬ソナと一緒に流行語大賞を取った「ギター侍」が気になる。あの毒というかアクというかクセが満載の芸。私はあっちの方がいい。

    ところで今朝、中村獅童が芝居のプロモーションでテレビに出ていた。ポスターの丹下左膳を見て、ギター侍と勘違いした私ってどうかな。

     

     

    November 20

    仮説拝読

    きのうの「男臭さ物質」について、九州大の矢原先生がさっそくコメントをくださいました。

    「アンドロステノン」は細菌繁殖に伴って分泌される→細菌に打勝てるオスは臭くない→だからメスは臭くないオスを選ぶ、との仮説。

    おもしろいですねえ~。さらに矢原先生の「ご教訓」。

    制汗剤で「臭くない」男が増えると、女性が本当のオスの価値を見分けられなくなる。従って、よろしくない!

    これもいいですね。ただ、この仮説をどうやったら証明できるのか、またご教示ください。

    この間、「地球大進化」を見ていて思わず引き込まれた。私たちの祖先であるホモサピエンスは生き残り、同じ知能を持っていたと考えられる(脳みその体積が同じ)ネアンデルタール人がなぜ滅びたか、という謎への仮説だ。

    両方の骨格を詳しく観察したアメリカの大学の先生によると、ネアンデルタール人は上あごのくぼみがなく、喉ぼとけも高い位置にある。ホモサピエンスは上あごがくぼみ、喉ぼとけは下にある。すなわち、「気道の長さ=発声のしやすさ」が違ったために、ネアンデルタール人は複雑な情報をやり取りすることが難しく、滅びたのだという。

    「言語」に原因を求めたわけだが、これもどうやったら証明できるのだろう?たとえば(あえて反論すると)、気道が短いと感染しやすいから、ネアンデルタール人は「急性肺炎で滅びた」ってのはどうでしょうか?

    私が想像するのはほっといて、生態と進化とのかかわりを、科学の世界でどう検証しているかは、今度取材してみたいテーマだ。

    閑話休題。

    きょうは土曜日だが、いきつけのパスタ屋さんには寄れなかった。その代わり、月末から南極へいくMさんと、弊社ビルの地下にあるA飯店で「坦々麺」を食べた。

    この坦々麺、なかなかくせもので、一度食べたら癖になる。私も海外出張から帰ってきたときとか、なんか疲れたなあ、元気だそう、という日はこの坦々麺が食べたくなる。

    Mさんにアポイントを申し込んだところ、「竹橋(毎日新聞社)で会いましょう、久しぶりに坦々麺を食べたいので」と返事がきた。

    わかるなあ・・・。だって南極に行ったら、半年は坦々麺ともおさらばなのだから。Mさん、南極で頑張ってくださーい。無事帰還のおりには、坦々麺ご馳走します!

     

     

     

     

     

     

    November 19

    科学とジェンダー

    科学とジェンダー!なんて大上段なタイトルだけど、おもしろいなあと思ったニュース。

    女性だけが不快に感じる「男臭さ」物質を、ライオンが特定したという。アンドロステノンという物質で、男の人のわきの下から分泌される。同じ物質を男女にかがせて脳波を比べると、女性は「不快」「イライラ感」が突出するが、男性は「リラックス」に傾くとか。

    モトムラ、激しく共感。

    たとえば地下鉄でたまたま乗り込んだ車両のドア付近に、部活動帰りの高校生が5~6人集団でいたとする。私は人ごみを掘って奥へ避難するか、隣のドアまで移動する。なんだか気になるのである。

    汗臭いとかではなく、「落ち着かない香り」とでもいおうか。むせ返るような。研究者は「卒倒しそうな」「運動部の部室のような」においと表現している。

    私はこれまで「高校生の毒気に当たった」と冗談を言っていたが、おそらく自分の鼻が独特のにおいを感知していたのだろう。

    おもしろいと思ったのは、結果だけでなく着眼点だ。研究者は女性である。私と同じような体験をして、「なんでだろう」と、この研究を思いついたのだろうと想像する。男性ならとうてい選ばないテーマだろう。だって「不快」に感じないのだもの。

    さらに理系っぽく考察すると、もともと若い男性は何のためにこのにおいを発しているのだろう。オスならメスをひきつけるのが王道なのに、わざわざ嫌われるような香りを出す必要はないのではないか。それとも、何度か接しているうちに「くせになる」のかな。そのあたりもさらに研究していただきたい。

    文部科学省の調査によると、研究部門をもつ民間企業の50%は、「研究者のうちの女性の割合が2%以下」と答えている。2%。言い換えれば「数えるほど」ということだ。

    人口の半分は女性なのに、社会の役に立つ研究をする人たちにこれほどアンバランスがあっていいのかなと感じる。半分になるのは遠い将来かもしれないが、意識的に増やすのも、企業を活性化する一つの手だと思う。実際、ライオンもこれから、成果を男性の制汗剤開発に役立てるだろう。

    余談。この会見を取材するよう指示された同僚のNは「なんだかなあ、男が臭くちゃいけないのか」と明らかに不満げであった。研究は客観的なもので、そういうことじゃないのだけど、先入観を感じさせる研究テーマの設定に納得いかなかったらしい。

    会見から帰ってきたNは、研究成果を生き生きと語り、「でも会見の参加者は全員男性だった。におい物質をかいでみたけど、確かにいやなにおいじゃなかった」と自供していた。

    きょうは新人時代のデスクFが九州から上京。丸の内で食事。氷見直送の天然ブリがおいしくて、喜んでもらえた。

    October 16

    理科とジェンダー

    「理科離れしているのは誰か~全国中学生調査のジェンダー分析」(日本評論社、編者・村松泰子、本体2200円)が届いた。送ってくれたのは、この調査チームの一人で、山形大学で教育社会学を教えている河野銀子助教授である。

    彼女には、「理系白書」7月号の「提言」にも登場してもらったが、同い年ということもあって、ときどき飲んではグチを聞いてもらっている。

    村松さんを筆頭とする調査チームは、女子の理科嫌いの背景を、小中学校で理科がどんなふうに教えられているかを調べることで解き明かそうとしている。意識調査や授業観察、インタビューなどから浮かんできたのは、次のような現実だ。

    ・身の回りの自然とか現象への関心は男女とも変わらないのに、中学校にはいると、女子に理科嫌いが増える。

    ・実験では、女子は記録係や実験準備をし、男子が中心になることが多い。

    ・自分が、親や教師から理科の好成績を期待されていると感じる生徒の比率は、男子より女子の方が低い。

    私自身の少女時代を振り返ると、ははーんと思い当たる。例えば実験は「危ない」感じがして、男子に任せていた。それに成績が少しぐらい悪くても「いいわよ、女の子だから」と許してくれる雰囲気は確かにあった。

    彼女たちは、そうした社会的な環境が女子を理科から遠ざけているのではないか、と問題提起している。ジェンダーバイアスである。

    詳しい調査結果や分析は本書を読んでいただくとして、おもしろかったのは、現場で理科を教えている教師3人(女性1、男性2)による座談会だった。

    「理科離れというけど、男女とも理科好きな子はいますよ」「むしろ女子の方が授業には積極的」。こんな意見の一方で、「女性の理科教師が少ない」「男女混成班で実験をやると、女子は全体の和を考えて譲り合う。その隙に、やりたくてたまらない男子が役割を取っちゃう」「電気の実験は男子が好きだよね」という男女差に気づいてくる。

    議論は発展して、なぜ理科を学ぶ(学ばせる)のかという、本質的な話題になる。「役にたつから」と教える先生もいれば「見えないものが見えてくるから」と答える先生もいる。その個性も面白い。

    「生徒は理科を暗記が多いから嫌いになる、というデータを国際学会で発表したら、『どうして理科で暗記があるのか』という質問が会場から出た」という、村松さんのエピソードも、日本の理科教育の一端を見るようで、なるほどねえとうなずかされた。

    10月15日発売だから、そろそろ書店に並んでいるころだ。興味のある方はご一読を。