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February 11 実名or匿名元村です。
ヤスが電車ファンだとは知らなかった・・・。
2つ前のエントリ「ブログでのコミュニケーション」に、たけしさんが寄せてくれた問題提起と、それに対するコメントを考えつつ読んでいます。
実名or匿名の問題は、この2年半、ずーっと考えているテーマであります。
>相手の正体はわかっていて自分は匿名で批判。本当に正論として批判するなら正々堂々自分の身分を明かして、一記者ではなく担当デスク宛に直筆で手紙でも書いて出せばいいのではないですかね。
記者サイドとしては一つの記事を書くのにそれなりのエネルギーを使っているはずです。それに対する批判を本気でするなら批判する側もブログのコメントみたいなお手軽で自分の保身も計れるような手段を使わずにやるべきです。
どんなに正鵠を得たコメントも匿名で書かれている限り、その質はそこら辺のゴシップ誌の記事と大差はない、というのが僕の感想です。
たけしさん、ありがとうございます。
で、私の考え。
ブログが新聞と違うのは、誰でも読める▽誰でも書ける(一定の制限はありますが)▽管理人と読者のやりとりが公開される、という点です。 もともと、ブログを始めたのは、こうした「手軽さ」と「公開性」という特徴に、未知の可能性を感じたからでした。
つまり・・・
新聞で私が書いた記事や、取材姿勢に関する意見(指摘・批判・賞賛含む)は、実名も匿名もありますが、私しか読めません。
せっかくなら、それを読者のみなさんと共有して、私の意見も同時に見てもらうってことができないかなあと思っていました。
そこにブログというメディアが登場し、じゃあやってみようか、となったわけです。
意見の中には、耳の痛いこともあるし、誤解満載のものもあるし、中傷めいたものもあります。
それがすべて公開されることは、管理人にとってかなりストレスであることを、経験の中から学びました。
一方で、なにか「いいもの」も生み出されるだろう、きっとそうだ、という期待も持ち続けているし、実際に新聞だけではありえない活発な議論が起きて、学んだり励まされる経験も多くしてきました。
あらためて考えてみると、ブログというメディアを選んだ時点で、
「批判は実名でお願いしますよ」とか、
「賞賛は匿名でも大歓迎」とか、
「デスクあての封書しか、批判とは認めません」
といった、自分に都合の良い(安全地帯の)スタンスは返上したといえます。
もっちろん始めた時は「楽しそうじゃん♪」ってなもんで、こういう覚悟はまったくしておりませんでしたが(笑)
正直言えば、実名での発信だと、受け手としてはうれしく思います。つまりこちらから直接連絡をとって会うことも、どんな人かを調べることもできる。それを踏まえて意見を書いてくれたのだろうと思うからです。
一方で、意見は言いたいけど肩書き上都合が悪い、公開の場ではためらってしまう、という人もいると思います。
その時、私は、実名or匿名、よりもその内容を尊重したいと思います。
困るのは、匿名をいいことに、議論の場を混乱させることを意図する人ですが、幸い、このブログにはそういう人はあまり来ない。
読者の中での自律性があるように思います。
ありがたいことです。
たけしさんがおっしゃるように、匿名よりは実名のコメントの方が信頼できる、と考える人は多いと思います。
でも、匿名でコメントをくださる方は、それなりの理由や主張や事情があるのだろうと考えています。
私としては、みなさんにもそのことをいつも考えていただきたいということを問題提起したいと思います。 February 08 ブログでのコミュニケーション元村です。
のっけから言い訳めきますが。
5日は取材と理系白書と発信箱、6日は名古屋出張、7日はつくば。きょうは取材2件。
みなさんのコメントを、さっと読んで5分で返事をかけるほど、私はスマートではありませんから(先刻ご承知?)、
ご返事が遅れました。以下、ざっとですが、コメントへのコメントです。
ブログでコミュニケーションするのは難しいと感じています。
なぜなら、ここに私の考えのすべてを書いている(書けている)わけではないからです。
Yan94さま、
>私がこのブログを毎日見るのは、元村さんの女性独特のほっこりコメントが面白いからです。
私のコメントは「ほっこり」してますか?うれしいような、情けないような。
名なしさま、
>すでにすべての発言がポジショントークとしてしか捉えてもらえないマスメディアの中にいて、これだけ期待される方は・・
期待はうれしくもったいないのですが、それに応えられているかというと、「?」というのが正直なところです。
冒頭にも書きましたが、私にとってのブログは、①本業(本紙記事)を踏まえたうえで、日常雑感やこぼれ話をつぶやくところ②本業の合間にメンテナンスするところ、というものです。
みなさんのコメントに一つずつ答えることは時間的にも難しいし、答えられない難しい質問もあります。いま取材中だから答えられないけれど、記事で見てもらいたいものもあります(それも、取材中の場合は書きません)。
その意味で、いい加減な下記ぶり、いい加減な対応が出てきて、それが批判されることにもなるのだと思います。
doroemonさま、
>カニ食べたり(美味しいですよね)同窓会で旧交を温めたりする時間はあってもいいですが、それをここに書いている暇があるなら、こうした自分に向けられた意見に対して返答をする時間はあるんじゃないでしょうか。
はい。カニは大好きです。こういう席で100%楽しんでいるように読めるかもしれませんが、帰ってきてみなさんのコメントを咀嚼し、誤解のないように丁寧に書く心理的余裕がなかなか作れません。
きくちさま、
>「ニセ」という言葉を使うこと自体を批判する方もおられますが、それはそれで仕方がないと思っています。
本紙記事への反響がたくさん来ていますが、やはり、
・科学には解明されていないところも多いのに、科学者が「ニセ科学」と決め付けているのが気になる
・「ニセ科学」と決め付けるなら、ニセである理由を反証実験でもやって科学者は示すべきだ
というものが多いのです。記事は分かってもらえるように書いているつもりですが、分かっていただけていない反響も多くて。菊池さんたちが丁寧にブログで応対しているのはとても骨の折れることだと痛感しています。
柘植さま
>あくまで、一人の「自然科学に携わり、それで生活の糧を貰っている者」として真剣にニセ科学の蔓延を「憂えている」だけです。
公的な研究所に所属しながら、実名でコメントをくださることに敬意を表します。言葉をつむぐ、言葉をゆるがせにしない、という姿勢は記者の基本的な姿勢ですし、努力しているつもりですが、それでも、伝わらないことは多いと実感します。
TBSの番組について「論文の無断引用」という見出しで記事が出ていたのは妙ですね。発表者、あるいは週刊誌ががそう表現したのでしょうか。本質は「中身を恣意的にまげて紹介した」ことだと思うのですが。 December 11 シンポジウム「理科年表シンポジウム」に参加した。
理科年表は1925年創刊。世界に例のない、貴重なサイエンスデータブックだ。
漫然と眺めていると、その膨大さに頭がくらくらする。
もちろん、楽しくてくらくらする。
パネリストは国立天文台の海部台長ほか、立花隆さん、山根一眞さん、滝川洋二さんなど豪華メンバーだった。
私は理科年表初心者代表、女性代表、およびマスコミ代表か。
豪華メンバーの熱い語りを聞いていたら、ほとんど発言できずに時間が来てしまった。
自分としては不完全燃焼だけど、お客さんは満足して帰ったかな。
いろんな話題が出る中で、出版元の丸善が来年立ち上げる「理科年表オフィシャルサイト」の有料制度について、立花さんが「インターネットに課金したら誰も使わない」と強調しておられた。
「研究者の貢献で得られたサイエンスデータで収益を上げようと思うのは不純。そもそもこれは公的なお金でやるべきだ」とも。理科年表の売り上げが年々減っていて、丸善も儲けているわけではないが、じっさい、ネット情報にどれだけの人がお金を払うだろうか。
普及を考えるならタダがいいけれど、そうするほど本の売れゆきは減り、維持費の負担が増して、ネットも本も続けられなくなるという負のスパイラルになってしまう。
ただ、公に頼ると、いつ予算を切られても文句が言えなくなるから、継続性と質の維持を考えるなら、やっぱり民間運営にし、専門家がきちんとかかわる方がいいのかもしれない。
帰ってきて夜勤である。きょうはノーベル賞の授賞式。モントリオールでは徹夜の温暖化会議が閉幕。
きょう急に発生した原稿2本を片付け、先週から積み残しの原稿2本と目下、格闘中。
あすは休刊日だが、丸の内でタウンミーティングに参加しなければならない。今週末もつぶれた。
明日の登壇者は私を含めて3人。きちんと言いたいことを言おう。
健康管理対策のストレス調査票が回ってきた。書き込みながら腹が立ってきた。「ストレス過剰」と判定されたら、会社は何かしてくれるのだろうか。人を増やすとか、休みを増やすとか、カウンセリングを受けさせてくれるとか。
調査は、管理には有効かもしれないが、対策がなければ当事者には無意味だ。
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